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船幽霊
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海を職場にしている漁夫や船員たちが、 その長い海上生活の間の奇妙な体験と言えば、 誰もが先ず第一にあげるのに、船幽霊がある。 最近は余り耳にしないが、昭和の初め頃までは、 随分あちこちでこの噂はあったと古老たちは語る。 それは、油を流したようなどんより曇った夜や、 また、天気が時化(しけ)る直前、 生暖かい風がぴたりと止んだ夜更け等に、 よく船幽霊に出会ったという。 もともとこの船幽霊というのは、 海で遭難した人の霊と信じられ、 その不慮の災穀の無念さがその場に残り、 後に迷い出るものとされている。 その出現は無数の火の玉であったり、 ある時は泳いでいる漁夫の姿であったり、 たちが悪いのになると、狐や狸が化かすように、 人の目を迷わすこともあるといわれる。 北風が吹きつける寒い冬の夜更け、 漁を絶えて港に帰りを急ぐ舟が、 一様によく見かけたのは、 『千づる』と呼ぶ火の玉の群であった。 じゅず繋ぎになった一連の火の玉が、 岸の岩から岩に飛び移って乱舞する様子に、 「あゝ、また今夜も千づるが飛ぶ」 と語り合ったという。 また、この船幽霊の悪い質(たち)のものは、 船の行手をいろいろ変化させることがある。 何もない灘中を、急に大きな岩礁に見せたり、 突然、大船が突進して来るように見せ、 また、岩礁が多い危険な海面を、 何もない大海原に見せかけるなどして、 舟が思わぬ事故を引き起すこともあったともいう。 これら船幽霊のさまざまな現象に、 実際に遭遇した古老たちの体験話を、 ここに紹介することにしよう。 尻無浜の太田某氏が、 まだ若い大正末期頃のことであった。 太田氏は鰯の掛網漁に、 同僚の舟と二艘で阿久根港に出かけた時である。 その日は何かの都合で、同僚の舟は阿久根港に残り、 太田氏の舟だけが、その漁場である牛深沖に向かった。 その日は天気が良く、順調に漁を絶えて、 真夜中に牛深沖から帰路についたのである。 ところが途中、 何となく船幽霊につけられている気がする。 同僚の舟は阿久根に残っているのに、 この同僚の舟が後から、 しかも明りをつけてついて来るのである。 そうしてもっと不思議なことは、 舟は帆に一ばい順風を受け、 一直線に尻無浜に向かって走っている筈なのに、 どうしたことか、一向尻無浜の丘が見えてこないのである。 時間的にみて、 もうとっくに尻無浜に着いていなければならぬのに。 どこをどう走っているのか、 全く不思議であった。 こうして一晩中走り続け、明け方になって、 串木野の羽島港沖に来ていることを知り、 改めてびっくりしたという。 この時は幸運にも天気が良くて、 その急変に遭わず難を免れた。 これと同じ例として、 同じ尻無浜の尻無浜休次郎、同藤吉、太田与太郎の三名は、 一晩中船幽霊にその進路を迷わされ、 その内に天気が急変して大時化となり、 三名共沖合いで遭難すると言う事件があった。 それは、正月も間近い師走の26日の夜で、 3名の死体は、串木野の羽島海岸に打ち上げられていた。 また、船幽霊は、泳いでいる漁夫の姿で司れ、 元気で海上を航行していたり、 漁に励んでいる姿を見ると恨めしく、 「友達になろうよ、同志になろよ」 と、舷側にすがりつくという。 それは、亡者の仲間に引き入れようとの魂胆からといわれ、 かって藩政時代、その御用商人として琉球や大島通いの河南源兵衛船も、 この船幽霊には悩まされたと伝えられている。 琉球通いの船等は、 何日間も昼夜を問わず灘中を走り続けたが、 夜になると毎夜のように、 鉢巻き姿の船幽霊が艦側にすがりついた。 この漁夫姿の船幽霊は、真夜中を過ぎる頃には、 両方の舷側をびっしり埋める位すがり着き、 口々に 「柄杓(ひしゃく)を貸せ、柄杓を貸せ」 と、せがむのだといわれている。 この柄杓で船に海水を汲み入れ、船を沈没させて、 その乗組員を、亡者たちの仲間にしようとの魂胆だったという。 だが、この憎らしい船幽霊であっても、 決して腹を立て意地悪をしてはいけないとされた。 それは、この船幽霊を怒らせれば、 岩礁を大梅原に見せる等、 どんな仕返しをされるかわからないからで、 快よく船幽霊の要求どおりにしてやることにしていた。 そのかわり柄杓は、完全に底を打ち抜いたものにし、 どんなに亡者たちが力んで水汲みをしても、 決して海水は船内に入らぬようにした。 源兵衛船の23反帆船は、 千五・六百石の米を積む大船で、 これらには百個近くの底無し柄杓が、 常時備えてあったといわれている。 亡者が柄杓を貸せとせがむと、 船員たちは「よしよし」と、 全部の亡者に底無し柄杓を渡す。 すると、亡者たちは底なしとも知らず、 喜び勇んで海水の汲み入れを始める。 片手を舷側に片手に柄杓を持って、一生懸命汲み入れる姿は、 これが本当の亡者かと、憎らしくなるものだったという。 こうしてこの船幽霊の亡者たちは、 疲れも見せずせっせと柄杓をふるって水汲みをするが、 その内に東の空がほの白く明け初めると、 いつの間にか一つ消え二つ消えて、 その姿は消えてしまうのであった。 また、高之口の西田某氏も、 船幽霊についてつぎのように語った。 ある時、大きな帆船に乗組んで航海した。 風は順風で帆は一ばいに張られ、 船は矢のように穏やかな夜の海面を走っていた。 ところが、急に船足が落ちてきたのである。 帆を見ると、やはり以前と変りはない。 不思議に思い舷側を見ると、夜目にもはっきりと、 鉢巻き姿の亡者たちが、 両方にずらりとすがり着いているではないか。 船足が落ちた原因がわかった。 このことを知った船頭は、 平常よくあることであったのだろう。 心得たもので、奥に入ると、 木灰を小箱に一ばい入れたのを持ち出した。 そうして舷側の風上に立ち、「ご免」と一言いうと、 木箱の木灰を手づかみにして、舷側の亡者の頭に振りかけた。 すると、舷側の亡者の姿は忽ち消え失せ、 船足はもとにもどって走りだしたという。
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