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猫の親子
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俺が生涯体験した最も怖い出来事は、猫たちの話。 俺は元々田舎の生まれで、 少し足を伸ばせば海が見える、 山と川に挟まれた愛知県の某町で 両親と3匹のシャム猫と暮らしてた。 母猫のジジと、ザザとゾゾの姉弟。 ゾゾは体格がよくて、 近所のボス猫だったらしい。 生まれたときから一緒だったので、 ザザとゾゾは俺をよく構ってくれた。 加減もしらない馬鹿ガキだったけど、 猫の機嫌の伺い方は本能で覚えたんだと思う。 祖父祖母叔父夫婦、 従兄弟の三兄妹が住んでいたが、 俺はその親戚一家に懐かずにいた。 酪農農家を営んでいるからか、 家の中はうっすら獣のような臭いがしていたし、 向こうの一家も俺のことを 特に歓迎していない雰囲気があったからだ。 とりわけ祖父の理不尽な頑固は 子供心にも異様に思えたし、 父親の兄にあたる叔父は得体の知れないところがあって、 どうしても好きになれなかった。 そして普段礼節に厳しい母親も、 俺のそんな態度については何も言わなかった。 そんなある日、 多分小学1、2年のころ、 早い時間に目を覚ました事がある。 万年朝寝坊だった俺は、 ものすごく冷え込んだ日だったこともあって、 そのまままたすぐ布団に潜り込んだ。 一階あたりで何だか声が聞こえたような気がするが、 気にしなかった。 ただいきなりザザが飛び込んできて、 布団の中に入ってきてくれたのは覚えている。 その後目覚まし時計に起こされたが、 ザザはランドセルを背負うまでずっと部屋にいてくれた。 そしてそんなことが日を置いて3,4回続いた。 朝だか夜だか、 とりあえず決まって俺は寝ていて、 どこか遠くから声が聞こえて起きる。 すると猫が傍に来てくれたり、 又は布団の上で寝ていたりして、また眠る。 特に不思議なこととは思わなかった。 ただ、繰り返し遭遇していくうちに、 遠くの声は何だか、 理不尽に怒鳴るような、 一方的な罵声のように思えた。 両親や友達に相談する気も起きなかった。 学校は遊ぶ処だったし、 家には猫がいるから、 話は猫に聞いてもらって、 猫から返事を聞いたような気をしていれば十分だったからだ。 今思えば俺も十分へんな子だったかもしれないが、 猫たちは殆ど姉兄のような間柄だった。 しかし小学3年の夏、母猫のジジが入院することになる。 ジジは老衰のため消化器官を悪くし、 排泄にすら痛みを伴うようになっていたらしい。 小学生の俺はジジの身体が悪くなったことしか判らず、 ただ不安になった。 その日は手術のため、 母はジジを伴って遠くの家畜病院まで行き、 俺は父と親戚の家に泊まった。 従兄弟たちの住む離れは心細く、 実家の父の部屋にも泊まれなかった俺は、 平屋建て似合わない、 ちぐはぐな洋間で寝ることにした。 心細さとジジに対する不安でなかなか寝つけなかったが、 ようやくうとうととし始めた頃。 みしぃ、と板敷きが軋む音が聞こえた。 眠っている俺を気遣うような、 慎重な足取りだった。 トイレは逆方向だし、 父親が様子見に来たのだろうかと思い、 毛布から少し顔を上げると、 そこにはぼうっとした様子の叔父がいた。 話しかけるでもなく、 明かりも付けず、 ただ黒ずんだ顔でこちらをじっと見ている。 少し猫背にして、 怒っても笑ってもいない、 魂の抜けたような顔で俺のことを見ていた。 その只ならぬ様子に声も上げられず 縮こまった俺はすぐさま布団を被り目をつむった。 意味が分からなかったし凄く怖かった。 どれくらい経ったか分からないが、 叔父は一時間以上はそうしていたと思う。 やがて気配が去って行っても、 俺は布団から出られないまま朝を待った。 叔母が起き出して俺を起こしに来てくれたが、 父親が来るまでは絶対に起きない!と言い張り、 呼ばれてやってきた父親から家の鍵をその場で貰うと、 先に家に帰ると言って飛び出した。 玄関向かって廊下を走っていく途中、 食堂の中で叔父が食事をしているのが目に入った。 なんだか細長いパンを食べていたが、 真ん中に入った切れ目からは 蛆のような白いモノが一杯詰まり、 うごめいているように見えて、 俺は一目散に家へ帰った。 ジジは無事手術を終えたが、 それでも長くは生きられない、 ということが分かっていた。 急激にみすぼらしくなってしまったジジだったが、 頭と声だけはしっかりしているらしく、 ことさら丁寧に接するよう厳しく言われた俺にも 愛想だけは返してくれた。 あの夜の出来事は迷った後、 両親に話した。 ふたりとも嫌な夢を見たね、 と言ってくれたが、 母のほうは胸を撃たれたような顔をしているのを覚えている。 そしてその年の秋、ジジが亡くなった。 遺体は庭に植えた南天の傍に埋めた。 俺は落ち込んだが、 大往生だと教えられ、 悲しまないようにした。 ザザとゾゾも居てくれた。 だがそれから2週間も経たずに、 ゾゾが死んだ。 車に撥ねられたようで、 畑の中で死んでいた。 親戚の家が持つ畑で、 傍の車道は交通量も少ない。 発見したのは農作業に来ていた祖母だった。 わざわざ新しい毛布に包んで持ってきてくれた。 俺は相当ショックだったらしく、 聞かされたときは涙も出なかった。 急激に心細くなった俺はザザを呼んだが、 その晩は姿を見せてくれなかった。 その次の日の早朝、 また例の声が聞こえた。 遠くで誰かが怒鳴っている。 しかし、その日はいつもと違い、 声が近づいてくるようだった。 俺は驚いた。 声は、1階の玄関から聞こえる。 どすん、と三和木から廊下に上がる音がした。 かなり乱暴な足音は そのまま2階に繋がる階段まで移動し、 罵声は吹き抜けから大きく響いた。 上がってくる。 どすん、どすん、 一歩一歩踏み鳴らして近づいてくる恐怖に混乱し、 俺は布団の上で固まった。 階段を登りきってすぐ左手のドアを開ければ、 俺がいるこの部屋だからだ。 逃げ場もない。 完全にパニックを起こした俺は 声も上げることができずにいた。 もう足音はすぐそこまできている。 怒鳴り声がまた響く。 低い男の声だった。 「なんで***を*さんのだや」 その瞬間ガタンッ! とドアが暴れ、 ドアが殴られたのだと分かった。 俺は何が起こっているのか分からず、 しかしドアの前に「それ」が居るために 外にも出られない。 「なんで***を*さんのだや! なんで***を*さんのだや!」 扉の向こうで興奮した罵声が何度も上がり、 その度にドアが割れんばかりに殴られる。 もの凄い音でドアが殴りつけられているのに、 両親のどちらも起きてこないことが恐ろしかった。 音はやがてドスン!ドスン!と 身体ごとぶつけるような音に変わり、 そしていきなりそれは止んだ。 ピタッと、冗談のように。 しばらくすると来た時と同じように どしんどしんと足音を立てて 階段を降りて行くのが分かった。 そうしてようやく、 俺はわんわん泣いた。 その後熱を出して寝込むくらい泣いた。 朝っぱらからどうしたのかと、 ノックの後に母が扉を開けて部屋の中を窺ってきた。 するとその間を縫ってザザが部屋に入り込み、 身を摺り寄せてきた。 それに酷く安堵したことを、 今でも強く覚えている。 その月の終わりを待たずに、 俺と母は婆ちゃんの住む母方の実家へ引っ越した。 婆ちゃんは健在で、 俺の両親が離婚することに対しては 言葉を濁しながらも賛成だったようだ。 「やっと別れた」 とすら言っていた。 これはその婆ちゃんからの口から聞いた話だが、 当時、俺の父親は叔父に変わり家業を継ぐ筈だった。 叔父は関東の大学を出た秀才で、 向こうで会社勤めの経験があるらしかった。 それに対し、 父は名古屋の某三流大学でキャンパスライフを楽しみ、 その先で母と出会い結婚、 突如就職すると言い出し家族中で揉め、 結局独り身の叔父が呼び戻され家督を継いだらしい。 母は農家の嫁になるつもりはなかったが、 そんな騒動になっていたとは知らずに田舎に越した。 俺を産んだ際、 命名を祖父にしてもらう予定だったが 頑なに突っぱねられ、 父に理由を問いただして知ったらしい。 婆ちゃんもその時電話でこの話を聞かされ、 以来母と俺を案じていたそうだ。 そしてあの恐怖の朝のことを話した時、 婆ちゃんは神妙な顔で教えてくれた。 「ジジはうちの家から連れて行った子でね、 あんたが赤ん坊の時から引っ付いて離れなかった。 母親だろうが近づくと威嚇してね。 きっとザザとゾゾにもよく言い聞かせてたんだね。 あんたは小さいから、良くないモノに恨まれ易いんだよ。」 今にして思えば、 我が家で怒鳴り散らしていたのは 叔父の生霊のようなものだったのでしょうか。 声がよく似ていたし、 父の実家で体験した異様な様子を鑑みれば そう思えてなりません。 ただ、猫が3匹とも居た時は ひどく遠いもののように感じていたし、 俺が最後に出くわした出来事も、 ザザが追い払ってくれたと思えました。 そしてそのザザも、 越してすぐに姿を消し、 戻ってきませんでした。 今でも、 キーホルダーに付いたジジの鈴は、 俺の大切な御守です。
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