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開かずのドア
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私が大学生だった頃の話です。私が通っていたのは、地方と言うかかなり田舎の大学で、学生たちも地味な人間が多かった。そんな地味な学生達でも、やはり4年生になる頃には卒業の為の単位もそろい、それまでのバイトで貯めた金で、海外に卒業旅行に出かけたりするのだが、私はかなり怠けた生活を送ったツケで、4年になっても単位が足りず、またバイト代も殆ど使い切ってしまっていた為、卒業旅行どころではなかった。しかし、似たようなヤツはいるもので、結局はいつもつるんでいる4人で、そのうちの一人の親父さんが勤める会社の保養所と言うか、研修センターにただで泊めてもらうことになった。たいした施設ではないのだが、最近では会社で利用する機会も少ないとの事で、掃除と布団干しを条件に、何泊でも好きに使って良いとのことだった。 貧乏学生4人はとりあえず1週間程の滞在をすることにし、1台の車に乗り込みその研修センターに向かった。地図を頼りに約2時間半程山間へ走ったところに、その研修センターはあった。確かにここ最近利用されておらず、また管理人も特に設置していないとの事で、パッと見た感じでは廃屋の様であった。また、中に入れば入ったでかび臭さが漂っており、本当にこんなところに寝泊りするのかとゾッとしたが、掃除をすれば何とかなるレベルであった。まずは状況確認も含めて、親父さんから借りたカギの束を使い、一部屋ずつ皆で建物内を散策していった。建物内の間取りはいたってこじんまりとしており、親父さんの説明どおり、宿泊用の4人部屋が1階に2部屋、2階に4部屋、共同の風呂が1つ、トイレが1つ、それに食堂、キッチン、といったつくりであった。しかし、1箇所だけ開くことの出来ないドアがある。それは2階の廊下の突き当たりなのだが、(廊下の両脇に宿泊室が2部屋ずつある)特に変わった様子、つまり封印してあるとか、そういう感じではない。ただ、カギの束のどのカギでも開けることが出来ないのだ。建物を周りから見た様子、また部屋の構造などから、容易にそこがトイレであることが判るのだが、親父さんの説明では『トイレは1つ』である。既に1階を見たときにトイレは確認している。じゃあここは…。単に親父さんの記憶違いと、故障か何かで使用不可なんだろうくらいに考え、それ以上その『開かずのドア』を気にとめるものはなかった。その後、各自割り当てられた分担場所の掃除に取り掛かり、日が暮れる頃にはなんとか生活できる状態にはなっていた。部屋割りについては、2階の4部屋に一人ずつが宿泊することになった。その日は掃除の疲れとアルコールのおかげで、割と早い時間に各部屋に入り眠りについたのだった。ベッドに入りどれくらいの時間がたったのだろう。体は疲れ起きているのが辛い程なのだが、なかなか寝付くことが出来ない。夢うつつの状態にあったその時、びちゃ廊下の方に足を向けた格好でベッドに入っていたのだが、その足元、ドアの向こうからその音は聞こえた。あの音はいったい何?気のせい…なのか?びちゃ…びちゃ今度は確かに、はっきりと2回聞こえた。びちゃ…びちゃ…びちゃ、びちゃその音はだんだん間隔が狭くなりながら確かに聞こえてくる。水分、それも粘着性の高い何かが廊下の床に滴り落ちる。そんな感じの音である。時計を見ると午前三時。こんな時間に、他のメンバーが何かをしているのか?何かって…何をしているんだ?思いつかない。びちゃ…びちゃ、びちゃびちゃびちゃもはや恐怖に耐えかね、ベッドに半身だけを起こし、廊下に向かって問い掛ける。「だ、誰か居るのか?…おいっ!」返事は無い。ベッドから降り、恐る恐るドアを開け、頭だけを出してゆっくりと廊下を見回すと、廊下の突き当たり、例の『開かずのドア』の前にソレは立っていた。!!!私の叫びは叫びにはならず、息を呑む音だけが廊下に響いた。しかし、私は足がすくみ逃げることも出来ず、でもソレから目が離せなかった。ソレは薄汚れた浴衣に身を包んでいる。浴衣の前は無様にはだけ、女性用の下着が見えている。浴衣から伸びている腕と足は痩せ細り、腹だけが異様な感じに膨れている。その細い腕の一つが顔に伸び、片手がしっかりと口元を抑えている。目はカッと見開かれ、一瞬白目になったかと思うと、口元を抑えた手の指の間から吐瀉物が滲み出し、床に滴り落ちてゆく。びちゃ…びちゃ、びちゃ…びちゃびちゃびちゃ…それは床に吐瀉物を撒き散らしながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。何こいつ、誰だよ。おい、おいっ、やばい逃げろ!私の頭の中はいろんな思考がごちゃごちゃになり、体が思うように動かせなくなっていた。しかし、目だけはソレを見つめている。不意にソレの目がよりいっそう見開かれたかと思うと、口元を抑えていた手を押し破り一気に吐瀉物が噴出してきた。びちゃびちゃ、びびびちゃびちゃぶちゃどちゃどびちゃっ…その吐瀉物の飛沫が私の顔にかかった様な気がして、ふっと我に返り、「ぎぃゃあああああああっ!!!」けたたましい悲鳴をあげて、ドアを猛烈な勢いで締め、ベッドにもぐりこんだ。すると、私の悲鳴を聞いた友人が、向かいの部屋から出てくる気配がした。「なんだよ夜中にうる…ぎゃぁあああ!」けたたましい悲鳴。廊下を走る音。そして階段を転げ落ちる激しい音。その音で残り2人の友人も目を覚まし、廊下に出てきたらしい。しかし、今度は悲鳴をあげることもなく、私の部屋をノックしてきた。私は半泣きになりながら部屋を出ると、掠れた声で「か、階段、階段っ!」と階段方向を指差すと、その場にしゃがみこんでしまった。友人の一人が階段に行くと、派手に転げ落ちたもう一人を発見し、直ぐに救急車を呼んだ。程なくして救急車が到着、階段を落ちた友人は数箇所骨折している様子で、また意識もないことから、そのまま病院に運ばれることとなった。私はこれ以上この場所に居ることが絶えられず、付き添いとして救急車に乗り込んだ。翌日、そのまま入院となった友人を残し、(病院で意識を取り戻したが、まだ処置の途中と言うことで、ろくに会話は出来なかった)一人研修所にもどった。待っていた友人2人に昨夜の出来事を話したが、やはりこの2人は何も見ておらず、見たのは入院中の友人と私だけだったらしい。とにかく、これ以上ここには宿泊したくも無く、荷物をまとめ研修所を後にした。いったい、あいつはなんだったんだろう。あの開かずのドアって…。帰宅後、研修所を所有する会社に勤めている親父さんに事の経緯を説明したところ、親父さんはハッとした顔をした後、ぽつりぽつりと語り始めた。3年程前、まだ頻繁に研修所を使用していた頃、社外講師を招いて、その年度に入社した新入社員12名を対象に、2週間の自己啓発セミナーを実施した。その内容はかなりハードなもので、社会人としてのマナーは勿論のこと、生活面でも全てを規則で縛り付けていた。その12名の参加者の中に一人の女性がいた。かなり華奢な体つきをした彼女は相当の偏食家で、好き嫌いが多いといったレベルではなかった。当然、この講師が食べ残しを許すはずも無く、口の中に食べ残しを押し込み、水で流し込むように食べさせていたのだった。彼女は夜な夜な2階のトイレで胃のものを吐き出す生活を続け、半ばノイローゼ状態に追い込まれていた。研修も後半に入ったある夜。やはり夜中に2階のトイレで嘔吐を繰り返していたところを、講師に見つかってしまった。講師から研修所中に聞えるような大声で激しい叱責を受け、最後には「お前みたいな精神が弱い人間は生きている価値が無い」とまで言われたそうだ。自分の吐瀉物にまみれ呆然と座り込む彼女を心配し、同期の何人かが声をかけたが、何の反応も無かったそうだ。翌朝、同期の一人が用を足そうと2階のトイレに入ったところ、彼女が浴衣の紐を個室のドアの鴨居にかけ、首を吊って死んでいたそうだ。私たちがあの研修所を利用した半年後、建物は取り壊された。
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