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忘れられない風景
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私には幼い頃からどうしても忘れられない、ある風景があります。戦時中のような裸電球がともる部屋の中で、私は何か茶色の扉のような物を見つめている。外には誰かが居るらしく、開けようと近づくと一人の男が現れる。彼の着ている縞模様の服の色だけが鮮明に眼に焼き付いています。その人は私の代わりにドアを開ける。記憶はここで途切れていて、どうしても続きが思い出せません。子供の頃のことなのか、どこかで経験したことなのか、両親に聞いても知らないと言うし、第一、私達家族が今住んでいる東京の家には、そんな古風な部屋などありません。 ずっと不思議な記憶のままです。ある日の夕方。私が大学から帰宅すると、母から祖父の弟さんの三回忌の法要をやるから、みんなで帰ってくるようにと、田舎の祖母から電話があった事を聞きました。信じられないことですが、私は母にそのことを聞くまで、祖父に弟が居たことを知りませんでした。父にきくと、昔祖父と一緒に上京して、なにか事務所を開いていたが、些細なことから祖父と仲たがいして、また田舎に帰ってしまった。そのあとのことは、田舎に行ってから話すと言うだけでした。私達三人はとにかく最終の新幹線で、父の地元でありその弟さんの生地でもある、ある県に向かいました。田舎に着くと、祖母が出迎えてくれました。祖母はまるで私の気をそらすように、「今日は珍しい日だよ。カミオロシの儀式があるよ。都会の子には面白いと思うよ」と言いました。祖母のよると、それはちょうど外国のハロウィンのようなもので、年に一度村に還ってくる死者の魂を、村のある神社で氏子の子供達が、一晩中社にこもって迎えるお祭りだと言うことでした。田舎といっても、最近はさすがに電話もテレビもあります。いくらなんでも大時代的な風習だというので、その村でもずっと途絶えていたらしいのですが、実は村はまもなくダム開発工事のために水の底に沈んでしまうので、(ちょうどあのバブル時代のことでした)もう最後だからと、何十年ぶりに復興したということでした。私は面白そうだとも思いましたが、なにか薄気味悪い感じもしたので、祭りには行かず祖母の家にいることにしました。その村は明治時代には養蚕で栄えた場所で、祖母の家の屋根裏にも、蚕を飼った飼育箱や手紡ぎの機械などがありました。当時史学科に籍を置いていた私は、もう夢中になってそれらを見て回りました。法要もすみ、夜になりました。母は神社で例のお祭りの手伝いがあり、父も法要の後始末があるというので、今夜は寺に泊まるということでした。私はそれを良いことに、東京から持っていった吉川弘文館のなんとかという歴史書を持って、屋根裏部屋に上がりこみました。ちょうど祖母も手伝いで留守だし、そこで一晩中読書しようと思ったのです。その時には、もうあの弟さんのことはすっかり忘れてしまっていました。そして、いつのまにか私はその屋根裏部屋で寝入ってしまい、夜中近くに目がさめました。何か物音がしました。私は下の階に降りました。玄関をみると、お客さんのようです。だれかが戸を手で叩いていました。私が出ようとして歩いた瞬間、思い出しました。あの風景です。一種のデジャヴというやつで、見ると本当に祖母の玄関は裸電球が下がっています。そして玄関の扉のよく見ると茶色です。そうこうしていると、あの記憶と同じように一人の男が私の前に出てきました。(この人は祖母の知り合いのおじいさんで留守番だった)その時、ずっと思い出せなかった、その風景の続きが思い出せました。その人が戸を開ける。すると戸口には誰かが立っていて、何か手にしている。そして、その手にした物をおじいさんの襟元にむけて振り上げる。今ようやく続きが出てきましたが、私は何かその時猛烈に胸騒ぎを感じて、戸を開けさせる気になれませんでした。バカげた話ですが、私は自分の勝手な妄想(その男におじいさんがなにか命にかかわることをされる)というのにとらわれて、必死でおじいさんをひきとめました。おじいさんは訳がわからないという顔をして私を見ています。二分ぐらいでしょうか、そうしているうちにそのお客さんは去ってしまったのか、ノックの音はしなくなってしまいました。翌日になって寺から戻った父に、私はあらためて弟さんの死の理由について聴きました。それによると、弟さんは田舎に帰ってからすっかり廃人のようになってしまい、仕事もせずずっと家にこもっていたそうです。そしてとうとうある日、精神に異常をきたして、大変な事件を起こしたということです。その事件とは、私も驚いたのですが、無差別殺人ということでした。村の家を回り、出てきた人に切りつけていったそうです。警察が弟さんの遺体を見つけたのはその翌日。(事件の日は夜で、ちょうどあのカミオロシがあった夜だった)村の川に架かる鉄橋から投身自殺していたそうです。当時まだ私は小学生であり、そういうことを話して聞かせるのはふさわしくないと判断した両親は、私にはそのことを言わなかったのだそうです。その時、私の頭の中では三つのことが繋がりました。死者の魂が還るカミオロシの夜、村の家の玄関を片っ端から回った弟さんの事件のこと、何かをおじいさんに振り上げる、あの風景にでてくる男のこと、そして昨日の夜の来客のこと。私は自分でもばかげているとは思いながら、もしかしたら、昨日の夜に家にやってきた異様に激しく戸口を叩いていたあの客は…。そこまで考えた時、私は父に、「ひょっとして、その弟さんが事件の時に使ったのは、なにかナタのように振り上げるものじゃないか?」とききました。すると父は驚いて、「ヨキといってね、この辺の言葉で、東京でいうナタのことだよ」と言いました。今でも私がデジャヴでみたあの風景が何なのか、自分でも良くわかりません。でも考えすぎかもしれませんが、もし昨日あの留守番のおじいさんが戸を開けていたら、私はあの風景と同じ物を目にしていたのかもしれない。そう考えると、なんだかひどく気味が悪いのです。今はあの村もダムの底に沈んでしまい、弟さんのことも、あの風景のことも、なにひとつ調べることは出来ません。でもいまだにこの話は私の脳裏に焼きついて、決して忘れることができずにいるのです。
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