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ががーん女
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長編14分
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去年の話。 きっかけは母が参加した婦人会の花見だった。 市内で一番大きな公園でやったんだけど、 隣の木の下に、 たった一人でシートを広げている女がいたらしい。 30代くらいで太り気味、 黒縁めがねをかけ真っ赤なカーディガンを羽織って 下は長いスカート、顔は脂ぎってニキビだらけだった。 缶ビールやコンビニ弁当を 細々と食べていたらしい。 あまりに場違いでさびしそうだったので、 あるおばちゃんがつい声をかけてしまった。 それが間違いのもとだった。 女は最初逡巡していたが重ねて誘われると 嬉しそうにニヤッと笑みを浮かべてこちらへ移ってきた。 偶然母の隣に座ることになったのだが、 女が座る瞬間 魚の腐ったような臭いが鼻を突いたと言っていた。 詮索好きのおばちゃんばかりだから、 女に何で一人で花見してるんだとか どこから来たかとか質問が飛んだが、 ニヤニヤしているばかりで何も答えなかった。 そのときチラチラ母の方を見てきたらしいが 母は無視していた。 やがておばちゃんたちも白けて他の話をし始めたのだが、 すると突然 「ががーーん!」 と叫んだ。 両目をヤバイくらい見開いてて、 母の位置からは充血した目や 涎が垂れた口元がはっきり見えて かなり気持ち悪かったらしい。 おばちゃんたちはどうしたのか聞いたが、 女はそれに答えず さらにもう一度 「ががーーん」 と叫んだ。 完全に常軌を逸した奴だと判断し、 皆は引き上げる準備を始めた。 女にもやんわりとお開きだと告げたが、 またニヤニヤするばかりだったので、 仕方なくシートはそのままにして女を置いて帰った。 女は笑みを浮かべながら 皆が帰っていくのを見ていたそうだ。 途中振り返った母は目が合って ずっと視線を感じていたと言った。 その日から我が家は 女に付きまとわれるようになった。 翌朝、 俺が高校に行こうと家を出たとき、 門柱から顔を半分覗かせていた。 この時が初対面だが 夕べ話を聞いていたからすぐこいつだと判った。 両親を呼び、 対応を任せて俺は横をすり抜けて家を出た。 すれ違う瞬間 女のねばっこい視線に 一舐めされたような不快感がした。 帰宅して聞いたが ずいぶんしつこく居座ったらしい。 女はその次の日もきた。 前日は穏やかに対応した両親も流石に怒って 今度きたら警察を呼ぶと告げた。 女はニヤニヤしたまま答えなかった。 俺はこっそり裏口から出た。 その次の日も当然のように来たので 通報して警官に連れて帰ってもらった。 女は隣町のアパートに一人で住んでるらしく、 10キロ以上もの距離を歩いて家まで来てたらしい。 それから数日は何事もなく、 俺も両親もやっと日常が戻ったとほっとした。 しかし甘かった。 ある朝、 玄関の前に猫の尻尾が数本落ちていた。 引き千切られたもので 中には内臓がくっついているのもあった。 ちなみに俺は それを見つけた母の悲鳴で目を覚ました。 警察に届けて、 女のアパートへ行ってもらった。 死んでた。 後で判ったが青酸カリを飲んでいた。 死んだのは警察に連行された夜だった。 なら一体誰が? 近所に別の変質者がいるのか? 俺たちはひどく不快だったが、 これで終わらなかった。 尻尾事件から3日後の朝、 家の周りを何かが這いずった跡が見つかった。 それは泥まみれで、 手形や足跡が無数にあった。 警察が指紋を採ろうとしたが 潰れたようになっていて採れなかった。 近所で目撃証言はなかった。 だが俺たちはあの女だと思っていた。 いや判っていた。 そして5日後、 決定的なことが起きた。 中に入ってきたのだ。 深夜、俺が2階の自室で横になって携帯をいじっていると、 ガチャと裏口の開く音がした。 思わず半身を起こした。 こんな時間に誰かが外に出たのか? それともまさか泥棒? いや親が戸締りを忘れるはずはない。 階下からはさらに ドンドンドンと足音が聞こえてくる。 まるで自己の存在を誇示しているかのような不自然な音。 どこに向かっているのか? 俺は思わず部屋の電気を点け ドアを開けて様子をうかがった。 ドンドン 音が止まった。 そして ギシッギシッ 階段を上ってる! 俺がドアを閉めて鍵をかけた。 こっちへ来る。 女の狙いは俺だ。 俺の部屋は二階の廊下の突き当りだった。 内線で階下で寝ているはずの両親を呼んだが 誰も出ない。 やがて足音の主は廊下へ着いた。 ドンドンドン またもあの大げさな音。 俺はベッドで震えていた。 やがて足音は部屋の前まで来た。 ガチャ いとも簡単にドアが開いた。 明るい部屋に 黒い影がぬうっと入り込んできた。 形はあの女のものだ。 しかし何故かそこだけ暗闇ではっきりしない。 どうやら俯いているようだった。 影はじわじわとこちらへ向かってきた。 俺は金縛りのようになって 声が出せなかった。 開いた口から涎が流れた。 ベッドの縁まで来て影がぐっと伸びた。 爛々と血走った両目が俺を射抜いた。 歯を剥き出した。 濡れた歯茎から唾液が黄色い歯を滑り落ちる。 「ががーーん」 女が大口を開けて叫んだ。 唾が顔に飛んだ。 俺は小便を漏らした。 黒い塊が俺の顔を覆った。 湿ってぶよぶよとした感触に襲われた。 息ができない。 動けないまま俺は意識を失った。 翌朝、起きてこない俺を心配した母のノックで目が覚めた。 部屋の床は泥だらけだった。 なぜか廊下にはなかった。 女のターゲットは俺だった。 その日は学校を休み、 俺は階下の両親の寝室で一緒に寝た。 その夜、 トイレに行こうと階段の前を通ると、 二階から ドンドンドン と何かが転げ落ちるように降りてくる音がして またも失禁しながら逃げ帰った。 父が二階をくまなく見て回ったが 何も見つからなかった。 両親は相談の上、 俺を親戚に預けることにした。 あくまで一時的な措置だったが、 俺は長引きそうだと感じていた。 高速を使っても片道3時間。 山間の田舎町に住む叔父の下で厄介になることになった。 叔父は話を聞いて半信半疑だったが、 同居していた義母がそれを聞いて しきりに寺へ行けと進めるので、 着いた次の日町外れにただ一軒ある寺へ行った。 寺自体は江戸時代からあるような古寺だったが 住職は着たばかりの人でまだ若く 修行を終えて間もないようで何とも頼りなかった。 一応話を聞いてもらったが いかにも自信なさそうに 「自分はそういうのはちょっと・・・」 というばかりでがっかりした。 本堂でお経を上げてもらったが 特に効き目があるとは思えなかった。 ただ、田舎へ移ってから女は現れなくなった。 ちょっとほっとしたが、 家に帰っても無事とは思えず、 結局ただこの田舎で無為に過ごすしかないのか・・・ と空しくもあった。 帰れる日は来るのかと。 一週間ぐらい経った日、 寺の住職が訪ねてきた。 何でも本山から指導教官が着ているらしく、 俺の話をしたら連れて来いと言われたそうなのだ。 住職がいうには 除霊とかの経験も豊富らしい。 ここへ来て初めて希望の光が見えてきたかもしれない。 俺は藁にもすがる気持ちで寺へついていった。 本堂へ上がると そこには格ゲーに出てきそうな筋骨隆々の坊さんが キンキラキンの袈裟を纏って待ち受けていた。 がっしりとした手で握手して 「すべて任せなさい。 明日にも家へ帰れるようにしてあげるから」 と自信満々で告げられた。 その夜は本堂の隅に布団を敷いて衝立で隠した。 マッチョ坊さんは夜通しお経を唱えると言っていた。 坊さんの読経は低いが良く通る声で 聞いていると心地よく俺は自然と眠れた。 翌朝、耳をつんざく悲鳴で起こされた。 何事かと衝立から顔を覗かせると へたり込んだ住職が見えた。 顔面蒼白になっている。 その視線の先には、 倒れているマッチョ坊さんの姿が――。 「出てきてはいけません!」 住職の悲鳴のような声が飛んで 俺は顔を引っ込めた。 その後は警察がきたりして大騒ぎになった。 俺ははっきり見ていないが、 マッチョ坊さんの死体には首がなく、 それも切られたのではなく ねじ切られていたらしい。 そして床には所々泥水が飛び散っており、 衝立にもべっとりと染みを作っていた。 なんと布団の下にも泥水の跡があった。 坊さんを殺した何かは俺を見ていたのだ。 俺は完全に化け物の手の中なのだ。 俺は絶望的な気分になって叔父の家へ戻った。 その夜、 叔父から家へ置いておけなくなったと言われた。 義母が強硬だったらしい。 翌日両親が迎えにくることになった。 その夜は枕を濡らした。 いっそ死のうかとすら思った。 次の朝、 迎えに来た両親と町を後にした。 うねうねとした山道を下っていると、 不意に前後から黒塗りの車が現れて 近くの待避所へ誘導された。 車から降りてきたのは 黒いスーツの男数人と、住職だった。 住職が俺たちへ言った。 「本山へお出でください。 もはや宗派の問題となりました。 何卒ご協力ください」 半ば脅迫だが、 俺もこのまま女が待ち受けている家へ帰りたくなかったので、 両親に懇願し、ついていくことにした。 本山には俺だけが来るよう言われ 両親にはそこで別れた。 本山がある場所はかなり遠く、 本来なら飛行機で行くようなところだが、 その車で行った。 到着すると、 本山御用達の旅館に部屋を取ってもらった。 付近は由緒正しいような店や旅館が並んでいた。 門前町みたいなものだろうか。 翌朝5時ごろに迎えが来た。 マッチョ坊さんみたいながっしりした坊さんが 4人で俺を囲むようにして入山した。 そのまま山中を一時間以上歩いた。 立派なお堂などは素通りして 奥へ奥へ入っていった。 やがて粗末な門が建っているところへ来た。 そこから階段が続いていて 先には小川を挟んで 小さな茶室みたいな建物が見える。 「ここからはお一人でどうぞ」 言われるままに俺は一歩踏み出した。 門を潜ったところで 坊さんの一人にあの中に誰がいるのか聞いた。 「とても偉い方です。 失礼のないように」 それだけ言うと 4人は来た道を引き返していった。 俺は少々不安になりながらも 粗末な小屋に向かって歩き出した。 小川にかかる小さな橋を渡った。 その小屋は片方に縁側があって 障子張りになっている。 ものの10秒で一周できるくらいの大きさしかない。 「すみません」 と声をかけると 障子ががたつきながら開いて 中からかなり高齢の坊さんが出てきた。 とても小柄で禿頭は染みだらけ、 真っ白な眉毛が目を覆い隠していて これも染みだらけの手には筋が浮いている。 縁側へ出てくるのも一苦労といった風で 身体が小刻みに震えていた。 俺は一気に不安になった。 こりゃ駄目だ。 太刀打ちできっこない。 「話は聞いとる。 寒いから、さ、入って」 中へ入ると六畳一間で、 真ん中に囲炉裏があった。 茶釜で湯を沸かしているらしい。 「まず白湯を飲みなさい」 と端の欠けた茶碗に注いで出された。 熱くて口の中がやばいことになったが 我慢してズルズル飲んだ。 心なしかリラックスしてきた。 「それで、実は私は」 「あ~言わんで」 すぐに止められた。 「あんたの見方はすなわち向こうの見方。 知っても意味はない」 「はあ」 「朝御飯食べたか?」 「いえ」 「なら相伴しなさい」 そういって どこからか小型の電子ジャーと出してきた。 パカっと開けると 中から美味そうな臭いの湯気が立ち上る。 爺さんはペッペッと両手に唾を吐きかけると 熱々の御飯を掴んで握り始めた。 「前の川で洗ってきなさい」 と皿を数枚渡された。 爺さんの唾入りおにぎりはちょっと・・・ と思いながらも外に出て 小川に皿をつけた冷たさに身体が引き締まる。 透明で綺麗な水だ。 部屋に戻ると 爺さんが片手に持った歪な飯の塊に 海苔を巻いているところだった。 剥がれないようにしっかりと唾を塗りつけていた。 俺を見てにっこり微笑むと それを差し出してくる。 軽い吐き気を覚えたが まさか断るわけにもいかない。 俺は清水の舞台から飛び降りるつもりで おにぎりを受け取り、かじった。 塩気がないが、 炊きたてだからやはり美味い。 でも唾つき。 必死に白湯で流し込んだ。 その間じいさんは 笑みを絶やさずにじっと俺を見ていた。 俺が食い終わってから自分も食べ始めた。 お互い食べ終わると 「今日はもう帰りなさい」 と言ってきた。 「え、でもまだ何も」 「食べ方で大体わかる。 なかなか厄介なものに見込まれとるようだ」 「あの、それは女でしょうか?」 「もう違う。 いろいろ引き込み引き込まれ 途方もなくなっとる」 「えっと、それはどういう」 「今日は帰りなされ」 そういうと 爺さんは電子ジャーを部屋の奥へ動かした。 その拍子にこちらに尻を向けた。 やたらもっこりしている。 (おむつ穿いてる・・・) 思わず凝視してしまい、 じいさんがこちらを向き直った瞬間に 慌てて視線を外した。 小屋を出ると 門の外でさっきの坊さんが迎えに来ていた。 その後は旅館に戻ってだらだら過ごした。 次の朝同じように小屋へ向かう。 爺さんはまた笑顔で俺を招じ入れた。 「晩に来たよ」 白湯を注ぎながら爺さんが言った。 「へ?」 「縁側に座って恨み言をな」 「はあ」 「延々と言うておった」 「女ですか?」 「さあ」 「さあって」 「もう横になっておったからの」 「そ、そうですか」 「じゃが、ここまで来たからにはなごうない」 「はい?」 「無理を重ねたろうからの。 もう八分通り勝ったよ」 俺の脳内は?で埋め尽くされたが 色々聞こうといてもじいさんはマイペースで それ以上はあまり会話が成立しなかった。 その日は混ぜ御飯を食って別れた。 靴を履いて縁側から立ち上がると 障子の向こうから爺さんが 「今夜辺り来るからの」 「え?来るって僕のところにですか?!」 「最後っ屁じゃ。気にせんことよ」 詳しく聞こうと障子に手をかけたが 開けるのは憚られて結局そのまま下山した。 途中迎えの坊さんに聞いてみようとしたが 「仰られたとおりにしてください」 としか返ってこなかった。 その夜、旅館の部屋で 俺は灯りとテレビをつけっぱなしにして布団に入った。 ちなみに部屋に窓はなく、 風呂トイレはなかった。 深夜2時過ぎ、 テレビ放送が終了し カラフルな鍵盤に切り替わった。 どのチャンネルも同じ。 仕方なく電源を切った。 携帯をいじっていると、 天井から ドンドンドン と聞き覚えのある音が聞こえてきた。 「あいつだ」 俺は即座にあの女がきたと判った。 ドンドンドンドン 足音は部屋の天井を傍若無人に歩き回っている。 しかし前回と違い 俺は気が大きくなっていたので思わず 「おい!」 と声をかけた。 途端に音が止んだ。 俺のはったりが効いたか? 思わず笑みがこぼれた。 「ががーーん」 いきなりテレビ画面から絶叫が聞こえた。 あの女の顔が大写しになっている。 目をひん剥いて俺を睨みつけている。 女は涎を垂らしながら叫び続けている。 同時に部屋の襖に どすんと何かがぶち当たった。 まるで体当たりでもしているかのように。 もう一度どすんと衝撃が走って襖が飛んだ。 黒い塊が押し入ってきた。 女だ。 俯いた姿勢のまま 俺の前までじわじわとやってきた。 背後のテレビの絶叫は いつの間にか止んでいる。 影がぐぐっと伸びた。 血まみれのマッチョ坊さんの顔が絶叫した。 「ががーーん」 俺は今月三度目の失禁をした。 翌朝、 仲居さんの冷たい視線から逃れるように 本山へ上った。 門までくると 爺さんが縁側に腰掛けているのが見えた。 珍しいことらしく 送り迎えの坊さんは驚いていた。 爺さんは俺が近くにくると開口一番 「もう帰りなさい。 悪いものはのうなった」 と告げた。 「それって除霊したってことですか?」 と俺が聞いても ニコニコするだけで、 白湯を出して 「これを飲んだら帰りなさい」 と言うだけだった。 だから俺はそうした。 爺さんの言うとおり、 もう何も起こらなかった。
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