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飛び込み事故
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『先ほど○○駅で発生しました人身事故により、 ただいま上下線とも運転を見合わせています。 お急ぎのところ申し訳ございませんが・・・』 週末の夜、 溢れんばかりの人で身動きのとれない新宿駅のホームに、 駅員のアナウンスは繰り返された。 人身事故・・・すなわち飛び込み。 地方の人はぴんと来ないかもしれないが、 東京では日常的に発生して、 そのため電車の遅延に度々遭遇する。 「ちっ、早く帰りたいな」 俺は舌打ちした。 このところ俺の仕事は多忙を極めていた。 会社の決算資料作成のため徹夜のオンパレード。 心身ともに疲れきっていた。 明日の土曜も出勤する予定だったので、 金曜の今日は早めに退社した。 早いと言っても10時を回っている。 なのになんだ、 電車が動いていないなんて。 40分程度待ち、 やっと折り返しの電車が到着した。 待っている間にホームの人の数は恐ろしく膨れ上がっていたが、 奇跡的に俺は席に座ることができた。 車内は超満員。 この時間帯なので、 乗客の多くは一杯やっており、 車内の喧騒は酷かったが、 俺は席に座ってすぐさまウトウトし始めた。 「チャーハン、ロック入りました」 「はい、チャーハンのロック入りました」 チャーハンのロック? 「すき焼き、さび抜きで」 「はい、すき焼きさび抜き入りました」 すき焼きのわさび抜き? なんだ、この注文は? 暗闇の中、 居酒屋の店員風の若い男達の、 威勢のいい声が鳴り響いた。 ああこれは夢の中なんだ。 俺は気づいた。 だったら、 この変てこな注文面白いんで、 もうちょっと聞いてみてやるかと思った瞬間、 俺は金縛りになった。 「お父さん、ストーブ、ちゃんと消した?」 今度は中年の女性の声だ。 さっきの居酒屋の兄ちゃんは遠くからの声だったが、 今度は俺の耳元だった。 金縛りは一層強くなり、 息苦しさの度合いは増していった。 声も出ない、眼も開かない、こりゃやばい・・・俺死ぬのか。 そして次の時、俺の思考の中に、 全身血だらけで赤黒く染まったスーツを着た中年の男が、 物凄い形相で現れた。 俺を睨んでいる。 うわぁ、この人はさっき飛び込んだ人だな、 と直感したとたんに金縛りは解け、同時に眼が開いた。 目の前に見えたのは、 先ほどの車内の光景と何ら変わらない、 人・人・人・・・。変わらぬ喧騒。 車内アナウンスで、 俺は最寄り駅の一駅前まで来ていたことを知った。 俺は怖い話とか心霊写真の類は好きだが、 フィクションを好きなだけで、 そういうものは信じていない。 だから、駅から家までの帰り道に、 さっき起きたことについて次のように結論づけた。 居酒屋の兄ちゃんやおばさんの声は、 夢うつつの中で乗客の騒がしい声がそう聞こえた。 金縛りは連日の仕事の疲れが原因。 血だらけの男は、 人身事故をアナウンスで聞いていたから、 その潜在意識が引き起こしたもの。 だけど、ただ一つだけ腑に落ちないことがある。 左手首に着けていた、 初詣で高尾山で買った水晶の数珠のゴム紐が切れて、 ワイシャツの袖のところで落ちかけていた。 家に帰ると、 リビングでテレビを見ていた嫁さんが、 俺を見るなりハッとした顔をした。 「何?びっくりしたような顔をして」 と俺が言うと、 嫁さんはちょっと間を空けたあと、 「・・・いや、今日は早いなって」 とあわてて返してきた。 「帰るってメールしただろ・・・」 そこまで言って俺は押し黙った。 ああ、こいつ何かを感じてるんだな。 それとも何か見えるのか。 嫁さんは俺とは違い、 本人曰く霊感が強いらしい。 これまで色んな体験談を聞かされてきた。 それは本人からすれば、 至極本気なんだろうけど、 俺はいつも、はいはいって感じで受け流していた。 だけど今日は・・・ さっきの電車の件を話してみようか・・・。 いや、やめとこう。面倒くさい。 それより疲れた。早く眠りたい。 俺はシャワーを浴び、ビールを飲み、 用意された食事もそこそこにベッドに潜り込んだ。 嫁さんに見つかって変に話が展開しないように、 切れた数珠をタンスの引き出しの奥に隠すのを忘れずに。 翌日からまた仕事に追われた。 電車の件は、 俺の頭の中からすっかり忘れ去られていた。 2週間過ぎた金曜、 その日をもって仕事も落ち着き、 打ち上げを兼ね課の同僚達と飲みに行くことになった。 会社を出て居酒屋に向かう途中に、 嫁さんの携帯に電話した。 「今日、会社で飲み会になったからメシいらない」 『あ、そう。それより数珠のことなんだけど・・・』 嫁さんはあの数珠を見つけたんだ。 同時に俺は、 忘れていたあの電車のことを思い出した。 「いや、紐が切れたんで、 引き出しに入れておいたんだわ。 ゴミ箱に捨てちゃまずいだろ、ああいうもんは。 どっかの寺とかで燃やしてもらったほうがいいと思って、 保管しておいた」 俺は嫁さんに、 霊感を発揮してもらいたくなかった。 そのため口をつく言葉にまかせた。 『引き出し? ・・・・ポストでしょ、下の郵便ポスト。 今朝家出るとき入れたんでしょ?』 「は?」 俺は訳が分からなくなった。 『そんなことより、聞いてくれる』 嫁さんの声は切羽詰っている。 『夕刊取りにポスト開けたら数珠があったんだけど、 あの数珠の珠、 ひとつひとつが真っ赤な血だらけの男の顔になって・・・・』 その続きの言葉は、 目の前を走る改造したバイクの轟音でかき消された。 「おまえ何言ってんの? 帰ったら聞くからもう切るぞ」 やめてくれ、やめて欲しい。 俺は携帯の電源そのものをOFFにした。 「○○さん、何かあったんすか?」 飲み会の居酒屋で、 生中ジョッキ片手に一人の後輩が俺に聞いてきた。 「別に?何で?」 「いや、さっきから暗いし」 「そんなことないよ、 ハードワークで疲れてるだけだわ」 正直、嫁さんのことが心配になっていた。 早く家に帰らなきゃ。 タンスの引き出しに確かに入れた数珠がポストに入ってた? その数珠の珠が血だらけの顔? あの電車で思い浮かんだ男か? 「そうですよ、○○さん働きすぎですよ。 もういい年なんですから」 後輩社員が返してきた。 「うるせーな、おまえらと5歳も違わんぞ」 「5歳の違いは大きいっすよ」 「ところで山口遅いな、 何か連絡あったか」 3日間徹夜をして今日代休をとっていた同じ課の山口を、 今日この居酒屋に呼び出していた。 でも大幅な遅刻。 飲み会が始まって1時間たってもまだ来ない。 「いえ、遅れるって連絡はありません。 さっき電話したんですけど、電波つながらなくて。 けど、さっきネット見たら、 人身事故かなんかでJR線動いてないみたいです」 「人身?」 一瞬俺は鳥肌がたった・・・気がした。 「ええ・・・それより追加注文していいすか・・・ ○○さんのおごりで・・・ てか会社の経費で落としてくださいよ・・・ こんなに決算頑張ったんですから」 「ああ、いいよ、何でも頼め。 今日は交際費で落としとくわ」 俺は元気なく答えた。 後輩は俺の顔を見つめ、 一瞬ニャって顔をした・・・気がした。 うっ・・・お、おまえ・・・まさか・・・ 『チャーハンのロック』とか言うなよ・・・。 「すんませーん!チャーハンの・・・」 そのとき目の前がぐるぐると回り、 景色がかすんだ・・・。 あの飲み会の日のJRの人身事故。 山口当人が電車に飛び込んだものだった。 山口の身体はバラバラになり、 首から上はいまだに発見されていないらしい。 嫁さんはその日以降、 極端に口数が少なくなった。 たまに誰もいない隣の部屋で一人笑っているけど・・・。 「ヒヒヒ」って。 もちろん数珠の件は、 その後まったく夫婦の会話に出ていない。 数週間後、 俺は労働基準監督署に呼び出された。 山口の自殺は過労による鬱(うつ)が原因ではないかって、 監督署から厳しく追求された。 俺は労働状況についてありのまま答えた。 そして最後に言ってやった。 「監督官は、すき焼きのお肉にわさびつける派ですか?」 俺を責め続けた監督官は、 きょとんとした顔をしていた。 俺は監督署を出て、 小○橋通を新宿駅に向かってトボトボ歩いていた。 もう夕方の時間だ。 今にも雨が降りそうな天気だった。 すると人ごみの中、 こっちに向かって白い着物の女が歩いている。 それは言うまでもなく異常な光景だ。 遠くなんだけど、 明らかに俺を見ながら歩いてきているのがわかる。 近づくにつれ、 俺はその女の妙な動きに気づいた。 女は、右手で自分のお腹て言うか、 着物の帯のあたりをパンパンとたたいている。 何やってんだ? 女はだんだん近づいてくる。 俺を睨みつけながら。 パンパンてお腹のあたりを叩きながら。 おい、まじかよ。 10メートルくらいに近づいてきた。 だんだん小走りに近づいてきている。 もうそうなると、 周りの人の流れは俺の視界に入ってこない。 あいかわらず帯のあたりを右手で叩いている。 パンパンって音が大きくなってきた。 女の表情が確認できた。 長い黒髪。 そしてこの世のものでないような凄い顔・・・。 おまえ、まさかこの梅雨時期に、 『ストーブの火がどうのこうの』って言うなよ・・・。 俺は自分の意思では思いつかないようなことを思っていた。 女が1メートルくらいの距離に俺に迫ってきた。 「ウギャー!」 俺は無我夢中で、 女に背を向け大久保方面に走って逃げ出した。 後ろを振り返らずひたすら走った。 あれから・・・。 現在俺は多少遠くはなるが、 利用していた路線ではなく、 その南に走る電車で通勤している。 もう会社も辞めようかな・・・。 いや、その前に高尾山に行って新しい数珠買わなきゃ。 でもそのためには、 またあの電車乗らなきゃいけないのか・・・。 あ、それから後だしで悪いけど、 上司にこの打ち上げをした居酒屋以降の話をしたところ、 ある高名な女性占い師を紹介された。 もちろんその占い師にも、 俺は居酒屋以降の話しかしていない。 居酒屋の前の話はしちゃだめだって、 誰かに命じられているようだった。 俺の話を聞き終って、 その占い師にこう言われた。 「この話は他の誰にも言ってはだめ。 聞いた人に恐ろしい怨念が飛び火する。 とんでもないことになる」 事実、上司は・・・。
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