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ジジイと老婆と山羊
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俺が小学生の頃だから、今から10年以上前の話だ。その時、俺は家族でF県I市にある、母方のばあちゃんの家に泊まりに行ってた。ばあちゃんちに行くと、俺と2つ上の兄は、よく叔父が飼っている猟犬のダルメシアン(名前はコテツ)を借りて、山を探検していた。コテツの首輪には発信器がついてたから、うちの両親も、コテツが一緒なら大丈夫だろうという感じで、俺達を自由に遊ばせてくれていた。そんな俺達が、「絶対に近づくな」と言われている場所があった。ばあちゃんちから1~2キロぐらい離れていたところにある家だ。 その家はボロボロの平屋で、とても人が住んでいるようには見えなかった。でも、人は住んでいた。名前が喜一(漢字が合ってるかは分からない)という、70才くらいのアル中のジジイと、その奥さんである老婆。老婆は、たまにばあちゃんちに逃げてくることがあった。酔った喜一が暴力を振るうみたいで、確かに老婆の目の上が大きく腫れ上がっていたのを覚えている。それを、怒鳴り声をあげながらナタを持った喜一が、探しに来たことがあった。ばあちゃんは、「知らない」と軽く流して老婆を匿っていた。そういった事があったから、俺達は子ども心に、あの喜一というジジイが危ない人間である事、だから親や親戚は近づくなと言ってるんだ、という事を理解はしていた。それでも、俺達はその言い付けを守っていなかった。理由は、喜一が二頭の山羊を飼っていたからだ。小学生にとって山羊という生き物が、どれ程興味をそそるかは言うに及ばないだろう。紙を食べさせてみたり、ばあちゃんちの畑から適当に食べそうな野菜を持って行って、木でできた格子越しに山羊に与えたりした。山羊の檻は庭にあって、喜一の家から20メートルぐらい離れていた。物陰に隠れながら、こっそり山羊と触れ合う。喜一に見つかるかもしれない、というスリルでまた楽しさが増した。そしてその秋、俺達にとって一生のトラウマとなる事件が起こった。また今回も、「山羊のところにいくぞ」と兄が言い、俺も賛同した。両親や親戚には「裏山に行く」と言い、コテツを連れて家を出た。家を出て坂を下り、一度平坦な道に出てしばらく歩いた先で、また段々畑の脇道を上る。秋でトンボが多くて、道の途中で振り返ると、黄金色の水田が段になって続いていて、美しい風景が広がっていた。突然コテツが吠えだし、もの凄い力でリードを振り払って駆け出した。やばい!道の真っ直ぐ先は喜一の家だ。俺達は焦って、猛ダッシュでコテツを追いかけた。息を切らしながら、俺達は喜一の家の手前まで来た。すぐ先でコテツが、けたたましい鳴き声で吠えている。コテツが吠えている先の物を目にしたとき、俺達は戦慄した。真っ赤な血に溢れた金ダライ。その横に、山羊の頭が転がっていた。叔父も亡くなった祖父も猟師だったので、俺達はそれを見て喜一が何をしたのか理解した。喜一は山羊を喰ったんだ。でも今はそれどころじゃない!早く逃げないとやばい!!コテツが吠えているので、喜一が出てくるのも時間の問題だと思った。兄がリードを掴み、しっかりと手に巻きつけて、俺達は一目散に坂を駆け下りた。少し離れた所で、喜一が追いかけてきていないことを確認すると、兄が言った。「山羊の頭、ひとつだけだったよな?」…確かに、転がっていた頭はひとつだけだった。「うん」「もう一匹は逃げたのかな。助けに行こう」兄が何故そういう考えに行き着いて、そして何故自分がそれを了承したのかも、今となっては思い出せないが、あわよくば山羊を貰ってしまおう、という考えがあったのかもしれない。喜一の家とばあちゃんの家の間にある隠居さんの所にコテツを預けて、俺達はまた喜一の家の坂を上りだした。夕暮れで、日は既に落ちかけていた。喜一の家に辿り着くと、さっきの頭と金ダライが消えていた。それでも、まだ乾いていない血の跡が地面を濡らしていた。俺達は気付かれないように周囲に注意しながら、喜一の家の裏に回った。最初に来たときにすれ違わなかったから、山羊はきっと、逃げたなら裏山に入るはず。そう考えたからだ。迷っても、南に行けばばあちゃんちの裏山に繋がるはず。傾斜の方向の左手に行けばなんとかなるだろう、と適当な事を考えながら、俺達も山に入った。山に入るとすぐ、きちんと舗装された道に出た。「ばあちゃんちの方にはこんな道ないよね!?」と、新たな発見に興奮しながら俺達はその道を辿った。ふいに、兄が小声で「隠れろ!」と俺の体を掴んで、道の脇の木の陰に潜ませた。「喜一だ」道のだいぶ先を、こちらに背を向けて喜一が歩いていた。何やら叫んでいるようだったが、何を言っているのかは分からなかった。ここに来て、俺は急に怖くなった。もう辺りは薄暗く、さらに知らない道だ。何よりも、あんなに可愛かった山羊を喰った喜一が、とても怖かった。喜一は狂ってる。真っ赤な顔。戦時中の軍人がかけていたような丸眼鏡。常に緩んで、よだれが垂れかけている口元。「お兄ちゃん、もう帰ろう?」後で馬鹿にされると思いながらも、必死で訴えた。「じゃあ帰れば?俺はアイツを尾行する」本当に一人でも帰りたかったが、兄を一人で行かせるわけにもいかず、俺は半泣きになりながらも、兄と喜一の後を追った。道を進んだ先に、上に有刺鉄線の付いたフェンスと、開きっぱなしの南京錠のついた金網のドアがあった。どうやら喜一はこの先に進んだらしい。兄が先行して、俺はそれについて行った。坂を上がると、開けた土地に出た。本当に驚いた。そこには、少し大きい古い木造の建物があった。それを見つけた時点で、もうどうしようもなかった。怖くて、兄の手を掴んで必死でもと来た道へと駆け出そうと振り返った。その時、建物のある背後から怒鳴り声が聞こえた。「あぁ゛殺しっちめ●△*」殺し~の部分は、確かに聞き取れたので覚えている。振り返ると、喜一が薄暗い影の中から追いかけてきていた。俺達は、無我夢中で来た道を走った。喜一は年寄りだったから、早く走れなかったのだろう。声と気配はすぐに消えた。さっきのフェンスの所を通り過ぎた時、兄が立ち止まってドアを閉め、南京錠で鍵をした。喜一がそこから出るには、かなり回りこんでフェンスの途切れるところまで行くか、鍵を持っていればそれを使って、金網の隙間から錠を開けなければならない。いずれにせよ時間稼ぎにはなっただろう。俺達はそのまま山を降り、喜一の家の庭を突っ切って来た道を戻った。もう辺りは真っ暗だったが、途中で隠居さんの家に寄り、そこで電話を借りて、足を捻ったということにして、両親に車で迎えに来てもらった。両親は帰りが遅くなった事について特に何も言わなかったが、俺達も喜一のところに行ったことと、山羊のことは黙っていようと口裏を合わせていた。ただ、あの建物のことはどうしても気になっていた。次の日、喜一が死んでいるのが見つかった。酔って道路で寝ていた所を、早朝に石切場に向かっていた大型トラックに轢かれたということだった。あんな事のあった次の日に喜一が死んだという事で、俺達は怖くなった。そして、事の顛末をばあちゃんに話した。叱られると思ったが、ばあちゃんは悲しそうな顔をして色々教えてくれた。・喜一が山羊を喰うのは昔からで、金がなくなると一頭ずつ喰っていた。・昔は沢山いたが、前にいた二頭がもう最後だった。その二頭には、出て行った娘二人の名前をつけて可愛がっていた。・あの建物は昔の校舎。(分校)母の10才上の姉の代に廃校となったが、取り壊す理由も無く、そのままになっていた。喜一はその土地と建物の管理者だった。・分校が廃校になって、そこを喜一が出入りするようになってから、彼がおかしくなった。(昔は温厚で誠実な人柄だったらしい)あの建物に何があるかはわからないが、もう二度と近づきたくないと思った。というより、あれ以来俺も兄も、ばあちゃんちには行っていない。そして先日、喜一の奥さんである老婆が、数年前に亡くなっていたことを聞いた。亡くなった場所が、どうやらあの廃校とのこと。あの場所の管理を彼女が引き継いだのだろうが、管理とは一体何をしていたのか。秋の夜の匂いを感じると、今でも鮮明にあの時の事を思い出す。霊感が無い俺には何も感じることができなかったが、きっとあの建物には何かがあるんだろう。あの校舎は、今でもあの場所に立ち続けているのだろうか。
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