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孵化
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久米と旅行に行ったのは三月の終り近くだった。 新学期になる前に行っちゃおうってんで、無理して予定を組んだものだ。「あんま観光地らしいとこ行きたくねぇなぁ」等と言うものだから、街から少し遠い山間の宿になった。 宿の傍には川が流れ、その川を下っていくと街に出る。とはいえ、街に出て何があると言うわけでもないので、俺達はぶらぶらしたり温泉を探したりして1日を潰した。 山間の日は傾くのが早いか、既に道も空も赤々と燃え立つようだった。俺達は川べりを歩き、橋の上から赤錆色の川を眺めていた。 「おはっ、アレは、おい……うぇ」久米が奇声を上げて指差したので、俺はつられて川上を見た。「なんだ。 箱……舟……?」それは四角い箱の様な物に乗せられた2体の人形だった。俺は川べりに向い、その舟を迎え入れる様にして、手を伸ばした瞬間「バカッ!触るな!」と怒号とともに引き摺り倒された。 「な、なにしやがんだよ!くそっ!濡れちまったじゃないか」「冗談じゃないぞ、馬鹿!!……何考えてんだ、お前……」久米は胸を大きく上下させる、その顔は青かった。「なんだよ、どうしたんだ」「今日は何日だ?」「は?今日?27じゃないか?」久米は逆算する様に指折るとハッとして顔を上げた。 「いぃぃ……やっぱり……重用だ……」俺は彼の動揺をよそに川に目を落した。人形の舟はゆるゆると川を下っていった。 「アレがどうかしたのか?」「なに?どう?どうもこうもあるか!」ちょっと息を止めてからゆっくり吐いて「あぁ……へ、へ、へっ……あれはヤバいっつんだよ」と言ってさっさと背を向けて歩いていく。俺はそれを追いながら問いかけたが、芳しい答えはかえってこなかった。 「あ~、かわい~」はしゃいだ女の声だった。久米は跳ねる様に振り返ると、凍り付いた。 カップルがその舟を抱えてニコニコと笑っていた。固まった俺達の気も知らないで、二人は笑って会釈した。 「やっぱりぃ、日本の心みたいな、風情みたいなのがあるじゃないですかぁ」等と自称日本好きの二人が固まりきった俺達に話し掛けて来たが、久米は明らかに不快そうな顔をしていたので、代りに俺が受け答えをした。「えぇ~、二人とも宿一緒じゃないですかァ~」と男が言った、久米は増々不快そうな顔をした。 宿へ着いた後も久米はしかめ面のままだった。「おまえ、ほんとにどうしたんだよ」「あ……?話は、な、帰りにしてやるよ、な。 今は言いたくない……。それよりメシだ。 メシ食う」籐椅子をバンと叩いて立ち上がると、食堂まで駆ける様に歩いていった。出された夕食はたいしたものではなかったが、何故かイナゴという下手物が入っていた。 「俺はコレ、食えないな」「いいじゃねぇかよ。腹に入りゃ……」と話していると「あ~」という声。 なんだ?と思って振仰ぐとさっきのバカップルが立っていた。ニコニコと俺達の横に席を取ると、べらべらと喋りながら次々に料理を口に運んだ。 イナゴも平気そうに口へ運ぶ、何故かその時、その様がえらくゆっくりと見えた。そのイナゴは腹が白かった。 白ゴマの様なものが和えてあって……うっ、と久米がえずいて席を立った。俺もそれを追って席を立ち、彼を介抱しながら部屋へ向った。 「おい……お前、あれ見たか?」「あれって、あの白いやつか?」「ありゃ卵だ……」イナゴの腹に付いている……ビッシリとくっ付いていたのは……「違う、お前。見えてなかったんだな……あいつらの料理、どれもこれも表面真っ白だったじゃねぇか……。 皿の上一面、卵で覆われてたじゃねぇかよ……」部屋に着くと彼は青い顔で倒れ込んだ。「なぁ、そろそろ教えちゃくれないか?」「うん、ああ……今日はひな祭りだ……」「え?」「重用だ。 上巳だったんだなぁ……クソッ、忘れてた……」「何言ってんだよ?3日はもう過ぎてるぜ?」「陰暦の3日だよ、今日は。重用ってのは月と日が重なる日の事、とくに奇数月」「でも、ひな祭りっつったって別に舟で流しゃしないだろ。 寺山修司じゃあるまいし」「流すんだよ」「なんで?」「……いいか。雛祭は女の子が人形を飾る祭じゃないんだ。 祭と言うのは“神奉り”。人形は形代、憑坐だ。 しかも春の節供だ。季節の変わり目、穢れを払って新しい春を迎えなければならない。 だから人形に穢れを移し、荒魂を流し、和魂を呼び込む。あの人形はそういう人形なんだよ」「つまり?」「鬼ごっこと一緒。 人形にタッチして禍いを移して、異界に流す。村の外に出てたらもう帰ってこないからな。 つまり、あの人形に触ると……そいつが鬼になっちゃうんだよ。禍いが移されるんだ。 ……普段、この地方ではやらない様だからな……余程、流さねばならない禍、があったんだろう」「あ、あのカップルは……」「さぁ、な?境を越えたら……どうなることやら……」で、翌朝。彼等と帰りのバスではち合わせた久米は、瞠目して固まり、俺に耳打ちした。 「あのバカップル……顔……あるか?」チラ、と見ると確かに顔はあるが、どことなく白んでいてぼやけているような気がする。「真っ白だ」「え?」「見えねぇ、冗談じゃねぇよ」彼にはカップルの顔は見えないらしい、俺には良くわからなかった。 俺達に気付いたカップルは会釈をして、バスに乗り込んだ。俺達は彼等の後ろの席に座った。 「ひぃ、ふぅ、みぃ、よ、いぃ、むぅ、なぁ、や、こぉこぉの、たり……」と数えながら久米は一から十までをピラミッド上に書き、その紙をポケットに入れた。バスはゆらゆらと山道を下っていって、俺達はいつの間にか町に入って、はずれまで出ようとしていた。 と、突然、久米が俺の腕を引いて立ち上がり、降車のボタンを押す。せわしなく動きながら早くしろと合図するので、俺はどかどかとバスを降りた。 「なんだよ、もう!」「孵りやがった!」久米はポケットに手を突っ込んで、行こうとしているバスを見つめた。「かえる?なにが!?」「境を越えたんだ。 あの卵、長いのを孵しやがった」「だから、なにが!!」「卵だよ、卵!顔が見えねぇっつったろうが!やつら顔一面にびっしりと白い卵が植え付けられてた!それが、おまえ一斉にな。顔から動く毛がはえたみたいに一斉に……長いのが孵りやがった」「まさか」と俺がバスに目をやるとバスが動きだして、チラリとその女の顔が寝返りをうった。 顔は腫上がって真っ赤だった。小さいニキビの様なものが隙間なくプツプツと湧いていた。 俺達は行くバスを見送って立ち尽くした。
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