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まだ学生だった俺は、 ちょっと古めのマンションに引っ越したんです。 なんとなく公団住宅みたいな感じで、 間取りのワリに値段も安かった。 日当たりは良くなかったけど、 部屋の中はけっこう綺麗だったし、 俺は満足してました。 ただ、ちょっと変というか、 妙なことがありました。 時々、電話の音がするんです。 「プープープー」 ていう、相手が電話中みたいな音。 最初は、ウチの電話かな?と思ったんですが、 受話器は外れてないし、 スピーカーからもそんな音は聞こえません。 室内のどこにいても同じボリュームで聞こえるので、 隣の電話の音でもないはずです。 不思議でしたが、 他に変なところもなかったので、 あまり気にしてませんでした。 冬になって、 新しくノートPCを買ったついでに ネットを始めました。 始めてみるとこれが面白くて、 毎日のようにネットサーフィン三昧。 ダイアルアップ接続だったので、 電話料金が激増しましたが… ところが接続の時に、 例の電話の音が聞こえてくるようになりました。 接続が完了してサーバーに繋がっているのに、 「プープープー」 やっぱり、 自分の電話回線とは関係ないようです。 でも音源はわからない。 そんな状態が2ヶ月ほど続きました。 ある日、キーボードの上にビールをこぼして、 ノートが使えなくなってしまいました。 友達が直してやると言って預かってくれたのですが、 かなり症状が進んでいた俺には、 数日でもネット出来ないのが耐え難い。 そこで、 前から持っていたデスクトップで ネットに入ることにしました。 ただデスクトップの場合は、 寒いのでコタツに入って…というワケにはいきませんが、 こうなっては止むを得ません。 電気ストーブを足元にセットして 各種設定を行い、いざ接続。 「…プープープー」 またあの発信音です。 その頃には俺もすっかり慣れていたので、 気にすることもなく画面を見ていました。 壁紙が日食だったので、 CRTの暗いガラス面に自分の顔が映り込んでいます。 ──後ろに、誰かいました。 俺の肩の上に、こっちを見ている顔… とっさに振り向けませんでした。 背中がスーッと寒くなり、 手は動かないのに震えています。 眼球だけを横に動かしました。 が、それでは肩より後ろは見えません。 思い切って振り向こうとしても、 体が言うことを聞かない。 イヤなのに、 目はどうしても画面に映る顔を見てしまう。 髪の毛は坊主で、眉毛もない。 白い顔に、大きく開いた目。 真っ赤な唇… 一見するとそうは見えなかったのですが、 どうやら女のようです。 その時、 ブラウザの初期画面が立ち上がりました。 画面が一気に明るくなります。 「だあああっ!」 俺は大きな声を出して後ろを振り向きました。 声を出すと体って動くもんですね。 でも、そこには誰もいませんでした。 ホッとするやら気味が悪いやら、 しばらく辺りの様子を伺っていました。 死角やカーテンの隙間に何か潜んでいないかと思って。 でも、立ち上がって調べる勇気はありませんでした。 体を回して、 もう一度画面を見ました。 目を凝らして覗き込みます。 明るい画面でも、 ガラス面にはうっすらと俺の顔が映り込んでいていました。 俺の肩越しに白い顔も… 「わあああああああ!!」 俺は大声を出しながら、 財布と携帯と鍵をかき集めて部屋を出ました。 次の日、 泊まりに行った友達の家から、 携帯で大家に電話を掛けました。 ところが、電話に出た女の人が、 大家は留守だって言うんです。 マンションの大家なのに、 個人オーナーっていうのは珍しい? とにかく、 その女の人に事情を話してみました。 すると、 その人は大家の奥さんだということで、 詳しい話を聞かせてくれと言って、 近くのファミレスまで来てくれることになりました。 俺は友達の家を出て、 そのファミレスに向かいました。 大家の奥さんは、 俺の話を聞いていくつか質問をすると、 ちょっと申し訳なさそうに、 前の住民の話を聞かせてくれました。 と言っても、 別にあの部屋で自殺したりとか、 殺されたりとかそういうのではなくて、 ある日、いきなり電話をしてきたと思ったら、 その日のうちに出ていってしまった、という事でした。 部屋の荷物も、後から業者が来て運び出し、 敷金の返済も要らないと言って、 引き払う時の立ち会いも拒否したそうです。 「学生さんだったわよ。 半年しか経ってないから、 まだ学校にいるんじゃないかしら」 そのマンションの近辺には、 俺の通っていた大学しかありません。 ここはダメもとで、 奥さんに前の住民が誰なのかを教えてくれと言いました。 すると、意外にもあっさり教えてくれたのです。 「安藤君っていう子よ。 確か教育学部だったと思う」 ファミレスを出た後で、 サークルの教育学部の奴に電話してみた。 『安藤って、あの安藤さんかな…』 「知ってるのかよ」 『けっこう有名だよ。 確か1年くらい前から、 ストーカーにつきまとわれてたって』 「ストーカー?女かよ」 『そりゃそうだろ。 でも、かなーり不思議ちゃんだったみたいだぜ』 「不思議ちゃん?」 『ゲージツ家タイプっての? 変な格好して、安藤さんの回りをウロウロしてたみたい』 その後、 何人かに話を聞くうちに、 いろんな事がわかりました。 安藤ってのはパソヲタっぽい男だったんですが、 ストーカー女はそういうところに憧れていたらしいのです。 だけど安藤は女に興味がなかったので無視していると、 女は安藤の部屋、 つまりあのマンションの周りをウロウロし始めました。 安藤は怒って、 女をひどい言葉で罵ったり、 物を投げつけたりしたそうです。 するとストーカー女は、 電話攻勢に切り替えました。 ところがパソヲタの安藤は、 自室にいる時はほとんどネットに接続しっぱなしで、 電話はほとんど繋がりません。 どうやら半分ワザととそうしていたみたいです。 女の電話に出ないために。 やがてストーカー女は自殺しました。 もともと不安定な子だったようですが、 安藤に拒絶されて深く傷ついたようです。 安藤はそれを気に病むどころか、 周囲にはホッとしたなどと言っていました。 ところが、 それから1ヶ月もしないうちに、 安藤はあの部屋を引き払い、 学校にも出てこなくなりました。 実家に戻ったようですが、 友達なんかが電話しても、 親が呼び出してくれない。 携帯に電話しても 電源が切れていたそうです。 俺はこれだけの事を調べて、 あの部屋を出ることにしました。 大家は、 まだ入ったばかりだからということで 敷金を全額返してくれました。 その後は、 あの部屋には近寄りませんでした。 安藤は結局復学することもなく、 退学になったそうです。 あの部屋で俺が見た顔が、 安藤につきまとっていたストーカー女かどうかは分かりません。 ただ、あの部屋で聞こえた 「プープープー」 という発信音。 あれは、部屋にいた何かの、 心の傷から漏れ出していたような気がします。
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