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捨てられた女
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一昨年の9月、俺とシゲジとキイチは町に飲みに行きました。最初は焼き肉屋。その後スナックでカラオケやって、最後のラーメン屋を出たのが、たぶん1時半過ぎでした。俺はアルコール飲まないんで、車の運転です。キイチはもうベロベロで、後部座席に収まるとすぐに寝てしまいました。国道から県道へ入ってすぐの交差点でした。 助手席のシゲジが「おい…おいって」と、俺の腕を叩くのです。「さっきの交差点に女がおったやろ」県道のこのあたりは、周囲は山ばかりで何もないし、深夜になると交通量も少ない。だから、そんなはずはないって思ったのですが、シゲジは「ちょっと戻ろうぜ」と執拗に誘うのです。「若い娘でけっこう可愛かった」とか言って。「お前、酔っぱらってるのに顔とかなんてわかるんか?」そう言いながらも車を方向転換させて、さっきの交差点に向かいました。すると居たんです。シゲジの言うとおり、交差点のところに若い女が。女は、道端のちょっと草むらっぽいところにしゃがんで、こっちに背中を向けていました。ワケありかよー、とか考えながら、車を停めました。ライトは点けっぱなしで。「おーい、何やってんや?こんなトコで」女はくるっと振り向きました。色が白くて、美人タイプの女なのがわかりました。けど、その時の表情がちょっと忘れられないんです。口がワっと全開になっていて、目も血走った感じのまん丸で、ビックリした顔のまま固まったみたいな表情でした。そんな顔でこっちをじっと見ています。ちょっと毒気を抜かれた感じで立ち竦んでいると、後ろからシゲジが話しかけてきました。「あいつ、ゲロしてたんちゃうか?」そう言われて見ると、口の端がよだれか何かで濡れているのがわかりました。町で酔っぱらって、ここまで歩いてきて吐いたのかもしれません。事情はともかく、このまま見過ごすのも悪いような気がして、こう言いました。「家まで乗せてったるわ」「*@?。&*#$%!」女は口を開いたまま、訳のわからないことを言いました。女が座っていたあたりの草むらで、ガサガサと何かが動く気配があるような気がします。これはヤバイかも、そう思いました。すると、女は口を閉じて今度は普通に喋りました。「…乗せてって」ちょっとおかしいとは思いましたが、こんなところで置いていくのも気が引けます。見た目は可愛い女だったので、シゲジは「よっしゃ、それでオッケーなんや」とか、意味のわからないことを言って、一人で盛り上がっています。後部座席のドアを開くと、寝ているキイチの隣に女を座らせました。「夜中やし、シートベルトはええやろ」女を乗せると、俺は車をスタートさせました。「…あんなトコで何してたんや?」「誰かに捨てられたんかぁ?」シゲジが、しきりに後部座席に向かって話しかけています。俺は、バックミラーで女をチラチラと見ていました。ちょっと短めの髪で整った顔立ちですが、ちょっと顔色が白すぎるように感じました。車の揺れに合わせて、白い顔がゆらゆらと揺れています。「私が捨てられたんとちゃうねん」突然、女が口を開きました。「私は捨てられた男を捜しにきたんや」ちょっと言っていることが良くわかりません。「…なんや、男って彼氏か?」いつの間に目覚めたのか、キイチが話に加わりました。「ちょっとガッカリしたわ。せやけど意味ワカランな、その話」どうやら大分前から意識はあったようです。「ドコに行ったらええねん?」俺は女に聞きました。車は県道を自分らの村に向かって走っています。「真っ直ぐ行って、もうちょっとしたら左」女は運転席と助手席の間に身を乗り出して指示しました。その時、バックミラー越しに女と目が合いました。どこを見ているのかわからないような、何か疲れ切ったような目。女はそのままストンと後部座席の真ん中に座り直しました。「そこ、そこ曲がって」そんな感じで、何回か曲がり角を曲がりました。俺はだんだんおかしいなと思い始めました。この先は山の奥で人里など無いのです。シゲジもいつの間にか無口になっていました。寝てるのかと思って見ると、目を開けたまま俯いています。だんだん道が狭くなって、とうとう舗装もなくなりました。「ほんまにこの道でエエんか?」「…ええねん。もっと先や…」男に挟まれて後部座席の中央に座っているので、悪路で揺れるたびに声が震えています。「もうすぐやなぁ…」女が独り言のようにそう言いました。もうずいぶん奥まで来ています。もちろんこの先に人家などありません。もうすぐどこに着くのか、俺はだんだん怖くなってきました。女の顔を見ようかとミラーを見ましたが、暗くて表情が見えません。助手席でシゲジが何かブツブツ言っています。「ここで停めて」林道の車廻しのところに車を停めました。女は車から降りると、細い人が一人やっと通れるような山道の入口に向かいました。あたりは月明かりで少し明るいのですが、木立の中は真っ暗です。女の格好は、ワンピースにパンプスだったかハイヒールだったか、とにかく山歩きをする格好ではありませんでした。「おい!どこ行くんや!そっちには何もないぞ!」俺が叫ぶと、女は振り向きました。うっすら笑っています。「早くおいでやぁ、もうちょっとやから」女の後を追いかけようとして、誰かに肩を掴まれました。一瞬心臓が止まるかと思いましたが、シゲジでした。「お前…行くんか?」弱々しい声でそんなことを聞きます。「しゃあないやんけ。このまま放り出していくワケにいかんやろ」「…ほなら俺も行くわ」最初の頃のハイテンションが嘘のような様子でした。俺が先頭で女の後を追いました。女はどんどん山道を先に進んでいきます。途中で気が付きました。この道は夏に通った覚えがあります。若い男が山に迷い込んで、消防団で捜索した時でした。確かこの先には大きな池があったはずです…女は池に何の用事があるのか?後を追いながらそのことばかり考えていました。後ろからは二人の影が追いかけてきます。やがて池に出ました。9月だというのに少し肌寒い。女は池のほとりで立ち止まりました。「…来たで」月明かりは木立に遮られて、水面は真っ黒で何も見えません。あたりは全くの無音でした。俺たちの息の音しか聞こえてきません。「アホー!!何してるんや!ボケェ!!」女が池に向かって突然がなり始めました。「いね!いんでまえ!あほんだらぁ!クソッタレ!!死ね!」もの凄い勢いの悪口を全身を震わせて叫び続けています。呆気にとられて見ていると、今度はこっちを向きました。「お前らも帰れ!はよ帰れ!ボケー!!」最初に見た時のように大きな口を開けて、血走った目でこっちを睨み付けています。「はよいね!殺すぞ!ごろ…ごぼゴボ!」口から何かを吐き出しながら、こっちへ手を伸ばしてきます。俺は限界をでした。振り向くと、さっき来た山道をダッシュで引き返しました。後ろからは女の叫び声が、前にはシゲジの走る姿が見えます。車のところまで来ると、ドアを開け車内に乗り込みました。後ろを確認すると、キイチがぐっすりと眠り込んでいます。エンジンをかけて、そのまま待ちました。「なにしてんねん!はよ出せや!」シゲジが追いつめられたような顔で言いました。「何を待ってるんや、まさか…」その言葉で我に返りました。一気に車をスタートさせて林道を下りました。一番近いキイチの家まで帰り着くと、体の力が一気に抜けました。寒くなかったのに、体がガタガタと震えてきました。もちろん、女が怖かったというのもありましたが、それよりも、シゲジの最後の言葉が恐ろしかったのです。俺たちは、3人で町へ飲みに行った帰りに女を拾いました。3人足す1人で4人。ところが、女を拾った後、車には5人乗っていたのです。運転席に俺、助手席にシゲジ、俺の後ろにキイチ、後部座席の真ん中に女。もう一人、助手席側の後部座席に男が一人座っていました。俺もシゲジもそれを憶えています。でも、男の顔も姿も全く記憶にないのです。なのに、シゲジの言葉を聞くまで、不思議とは思っていませんでした。そのことを考えると、今でも背筋が寒くなります。
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