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言伝
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大学時代の冬のある日のことだった。その日一日の講義が終わってから、僕は友人のSとKと三人で心霊スポット巡りに繰り出していた。言いだしっぺはK、車を出すのはS、僕はおまけ。いつものメンバー、いつものシチュエーションだった。目的地は、僕らの住む町から幾分遠い場所にある、今は入居者のいない古い集合住宅。噂だと、そこには複数の首のない幽霊が出るらしいのだけれど。結論から言うと、今回はハズレだった。あたりが暗くなってからようやく目的の廃マンションにたどり着いた僕らを迎えてくれたのは、色とりどりの落書きと、階段の踊り場で季節外れの花火をするマナーの悪い先客だった。 久々の大ハズレだ。「ああいう奴らってのは決まって、怖い思いしたり祟りに遭ってから、『後悔してる。あんなとこ行くんじゃなかった』とか言うんだ。くっそ、馬鹿じゃねーのか。呪われねーかな、あいつら。それか花火で火傷しろ、ヤケド」帰りの車の中、いつもなら車酔いでダウンしているはずのKが、後部座席でぶつぶつ愚痴をこぼしている。花火をしていた若者たちとは接触自体はなかったのだけれど、Kは彼らの行為に相当おかんむりのようだ。「覚悟がねー奴は後で後悔すんだよ。『やっぱり止めとけば良かった』とか俺だったら死んでも言わねーし。逆に、『やっぱそうだよな』って言うな、うん」「知らねーよ……」運転しているSが若干うんざりした様に呟いた。Kは廃マンションを離れてからずっとこんな感じだ。車は郊外、左右を田畑に挟まれた道を走っていた。暖房が暑くてウインドウを少しだけ下げる。僅かに開いた隙間から入り込んでくる冷たい空気が気持ちいい。けれど、やりすぎると車内が冷える。僕はすぐにウインドウを閉めた。確かにKの言うことも分からなくもない。僕だって心霊スポットと呼ばれる場所に行くときには、『何が起こっても不思議じゃない』という意識でもって行く。実際、過去にたくさん怖い目にも遭ったし、死ぬかもしれないと思ったことだって一度や二度ある。それでも、今日だってKが「首なしマンション行こうぜ」と言うと、ほいほい誘いに乗るのだから、『何されたって文句は言わない』くらいの覚悟は、僕自身持っているつもりなのだろう。「なーなー、俺腹減ったんだけどよ。なんか帰りにラーメンでも食べて帰ろうぜー。俺今日は金ねえけど」Sが「餓死しろ」と冷たく言い放つ。僕もKに何か言おうと後ろを振り向いたその時だった。僕らを乗せた車が急ブレーキをかけて止まった。道がちょうど見晴らしが悪く細い山道へと入るところだったので、死角からトラックでも出て来たのかと思った。けれども、そういうわけでは無い様だ。「……事故だ」僕とKに向かってSが短く言った。事故だと。それから車を道の脇のスペースになっている部分に寄せる。車のライトの先、白いガードレールのそばに、確かに倒れたバイクと共に人影らしきものが倒れていた。ライトはつけたまま、シートベルトを外してSが車を降りる。僕とKは一度車内で顔を見合わせた後、無言でSに続いて外に出た。「おい、大丈夫か?」Sはもうすでに倒れている人のそばにしゃがんで声をかけていた。仰向けに空を見上げるその人は、フルフェイスのヘルメットをしていた。ガタイが良く男性のようだった。声をかけても反応がないと知ると、Sは顎とヘルメットの隙間に掌を差し込んだ。「おい。お前らぼーっとすんな。K、救急車と警察呼べ」「お、おう」「○○(←僕の名前)はバイク道のわきに寄せて、車が来ないか見張ってろ」「分かった」僕は周りを見回す。耳も済ませてみたけれど、近くに車の気配はない。停めた車の近くでKが電柱を睨みながら救急車を呼んでいる。黒いバイクを苦労して起こし、邪魔にならないように路肩に寄せる。バイクは前輪がゆがみ、フロントライトが粉々になっていた。それが他の部品と共に辺りに砕けて散らばっている。傍らでSが「ちっ」と舌打ちしたのが聞こえた。見ると、Sが男の被っているヘルメットをゆっくりと脱がそうとしている。「なあ、大丈夫なん?こういうときって、動かすのって駄目なんじゃ……」「呼吸も脈もない。このままだとどっちにしろ助からない」こっちを振り向かないままSはそう言った。助からない、という言葉にどきりとする。それは死ぬということだろうか。目の前で。人が。Sが脱がしたヘルメットを横に置いた。露わになったその鼻と口から、赤黒い血が流れていた。目は閉じている。短髪の男だ。生気のない死人の顔だった。僕は目をそむける。腹の下から何か熱をもったものがせり上がってきていた。冷静にならなければ、と自分に言い聞かせる。そこで初めて、僕は男が倒れていた位置から少し離れた場所、道路についたタイヤの跡に気がついた。等間隔で二本の黒い線が、不自然に弧を描いている。二輪ではなく、四輪車が慌てて急ブレーキを踏みハンドルを切った様な跡。僕はもう一度周りを見回した。車の気配は無い。ひき逃げ。そんな言葉が頭をよぎった。びい、と何か布の裂ける様な音。振り向くと、Sが男の胸の上に両手を置き、心臓マッサージを始めていた。男の口には中ほどまで裂かれたハンカチが乗ってある。救命措置。Sは呼吸も脈も無いと言っていた。事故に遭ってから僕らが来るまでに、どれくらいの時間があったのだろう。何度か心臓マッサージをした後、Sが男の鼻をつまみ、顎を持ち上げ人工呼吸をする。そうして、また心臓マッサージ。それを繰り返す。「救急車も警察も、あと十分くらいでこっち来るってよ」電話を終えたらしいKが戻って来る。Sは振り向かず「そうか」と一言。救命処置を続ける。僕はKに向かって、「……ひき逃げかな」と道路に着いたタイヤ痕を指差す。Kは目を凝らしてそれを見てから、「マジかよ」と小さく呟いた。「おい、どっちでもいい、救命講習受けたことあるか」しばらくしてSがマッサージを続けながら尋ねる。確か車の免許を取る時に受けたはずだ。三十回心臓マッサージをした後に人工呼吸だったか。いや、それよりまず気道確保だ。「できるぞ」僕がもたもたと一連の内容を思い出していると、Kが一歩進みでてそう言った。「じゃあK、代わってくれ。俺も休みたい」「お、おう。分かった」Sが立ち上がり、Kと交代する。「ふう」と溜息に似た息を吐くSの額には僅かに汗が浮かんでいた。風のせいで辺りは震えるほど寒いにも関わらず。「助からないかもしれないな」僕の視線に気付いた様で、Sは腕で額をぬぐいながら言った。「まあ、医者が死亡と下すまでは生きてるわけだが。それでも、ああも冷たいとな……、人形を必死に生き返らせようとしている気分になる」それからSは道路のタイヤ痕に目をやり、「ふん」と小さく鼻を鳴らした。「……ひき逃げかな」僕は先程Kにしたのと同じ質問をする。「さあな。それは警察に任せとけ」というのがSの答えだった。それからSは地面に腰を下ろすと、ガードレールにもたれかかって目を瞑った。その手に赤いものが付いているのが見える。血だ。僕は倒れている男に視線を移した。あの男はまだ死んでいない。医者で無い僕らにその判断は出来ないのだ。救急車で運ばれて、医者に確認されて、初めて死んだことにされる。それでもSは冷たいと言った。実際に触れていない僕には分からないが、その言葉は確かな実感を伴っていた。死んではいないが、生きてもいない状態。だとしたら、男の魂は今何処をさまよっているのだろう。目の前ではKが屈みこみ人工呼吸をしている。僕はその様子をただぼんやりと眺めていた。身体を起こしたKが、びくり、と震える。何だろうと思った。そのままKは動かない。心臓マッサージを続けないといけないのに。Kはただ自分の両手を眺めていた。「……K?」僕が呼んでも反応は無い。それからKはふらっと立ち上がると、男の身体越しにガードレールを掴み、そこに人指し指を当てた。何かを書いている様だった。不安になった僕はKに近寄り、その肩を掴んだ。その瞬間、何か電気の様なものがKの身体を通じて、僕の足の先から頭のてっぺんまで走り抜けて行った。驚いて思わずKの肩から手を放す。同時にKが僕の方を振り向く。「……いちよんななきゅう」「え?」唐突にKが言った。「おい……、『いちよんななきゅう』って何だ?それに、『みさき、ゆか』って何だ。人か……?」いきなり矢継ぎ早に質問され僕は狼狽する。僕にはKが何を言っているのかも分からない。その思いが顔に出ていたんだろう。Kもはっとした表情になる。「何してんだ?」と横からSの声がする。「……いや、何でもねえ。……わりい。俺もまだ何が何だか分かんねえから……」そうしてKは僕の方を向いて、「ちょっと代わってくれ。頭がガンガンする……」目の辺りを押さえ未だフラフラしながらKはその場を離れた。残された僕は、Kが先程掴んでいたガードレールを見やる。そこには赤く掠れた血文字で、辛うじて『1479』と書かれていた。それから僕はKと交代して救命処置を行った。Sの言った通り男は確かに冷たかった。救急車と警察がやってきたのは、僕がKと代わってから五分程経った後ことだった。男が担架に乗せられ運ばれて行くのを横目に、僕らは警察の質問に答えた。答えていたのはもっぱらSだけれど。三人とも訊かれたのは氏名と住所。もっと面倒なことになるのかなと思っていたのだけれど、しばらくすると警察に「もう帰ってもいいよ」と言われた。僕ら三人は顔を見合わせて、黙って車に乗りこんだ。やるだけやったという思いも無く、僕らはただ疲弊していた。帰り道、車内にはなんの会話もなかった。それから二、三日経った日の朝のことだった。突然Kから電話が掛かって来た。黒いスーツを持ってないかということだった。どうするのかと訊いたら、『葬式に出る』と言い、誰の葬式に出るのかと尋ねたら、あの事故に遭った男性の葬式だとKは答えた。『言わんといけないことがあるからな』車はSが出してくれるらしい。Kがどうするつもりか気になった僕は、スーツを貸す旨と、自分もついて行くとKに伝えた。葬式の会場は、偶然にも僕らが事件の日に訪れた廃マンションのすぐ近くだった。すでに多くの人が集まっており、僕とSを車に残してKは一人会場の中へと入って行った。「どうしたんだろ。K。……Sは何か聞いてる?」「いや」行きの車の中、Kは何事か考えている様でずっと無言だった。ただ単に車に酔っていただけかも知れないけれど。車の中で待っていると、思ったよりも早くKは戻って来た。ドアを開け、気だるそうな動作で後部座席に座ると、「……あーあ」と呟き、「……おう、悪かったな、付き合わせて。ほれ、帰ろうぜ」と言った。Sは何も言わず車を出した。当然だけれど、帰り道の途中に事故のあった現場を通り過ぎる。思わず注視してしまう。事故があった痕跡は、もう路面のタイヤ痕だけだった。「被害者は……、首をやっちまってたらしい」後部座席からKの声がした。「頸椎だっけ?が折れるか断裂かしてて、だから痛みも感じず死んだはずだって。言われたわ。奥さんに」まるで独り言のように、ぽつりぽつりとKは言葉を紡ぐ。「それに、俺らが見つけたのは、意識も呼吸も脈も無くなってからだった。だったら最後の言葉なんて残せるはずもないよな。泣きながら言われたよ。『お心遣いは有難いですが、馬鹿にしないでください……』だとさ。……まあ、当然だけどな。警察にも言ってないことだし」最後の言葉。僕は思い出す。あの時、数字と共にKが呟いた言葉があった。『みさき、ゆか』Kはそれを伝えに来たのだ。けれど、それは生きている人間が発した言葉ではなかった。普通の人には決して聞くことのできない、死人の言葉。「理解されないってのは分かってるんだがなあ……。覚悟もしてた。でも、こうなんだよなあ。壁があってさ。その向こう側に何があるかなんて、見える奴にしか分からねえんだ」そうしてKは、「やっぱそうだよなー……」と呟いた。三人とも口をつぐみ、しんとする車内。急に亡くなったばかりだし、今は時期が悪かったんだ。Kは悪くない。当然のことをしただけだ。言うべき言葉は山ほどあったのに、その全てが口の中で空回り、外に出ることなく萎んでいった。けれども何か言わなければと思い、僕は無理やり口を開く。「……ラーメン」意識していたわけでは無かった。ただ、出てきた言葉がそれだった。どうしてラーメン。自分でも分からなかった。見ると二人が何事かという表情をしていた。「ラーメンだ……。そうだ、ラーメンを食べに行こう!お腹が減ったしさ、時間も丁度いいしさ、前には行けなかったわけだしさ」ヤケになって喋る。けれども、今がお昼時なのも事実だし、お腹が減っているのも本当だ。そして何よりラーメンはKの好物だ。Sが小さく吹きだす様に笑った。「そうだな……。どっか寄ってくか」賛同してくれたことに僕はホッとする。その途端、車の中の温度が少し上がった様な気がした。「あ、でもさ。実は俺、今日は金ねぇんだけど……」とKが言う。またかと僕がつっこむ前に、Sが前を向いたまま、ひらひらと片手を振った。「いい。おごってやるよ」その親切な言葉にKは驚いて固まっていた。僕も吃驚してSを凝視する。こいつは本当にSだろうか。そんな疑問まで浮かぶ。「マジで……?」「香典で使って金がねえんだろ。だったら、おごってやるよ」Sの言葉に僕は思い出す。確かに会場に行く前、Kは封筒を手に持っていた。「……うおおマジかよ!言ったなS。だったら俺メッチャ食うぞ」「別にいい。でももし車内で吐いてみろ。窓から放り出して轢き殺すぞ」「上等だ。化けて出てやるよ」「あ、S、じゃあ僕もおごって」「うるさいお前ら」そうして僕らはその後、走りながら見つけた中華料理店に立ち寄りラーメンを食べた。結局Sは全員分奢ってくれたし、結局Kは帰りの道中で車に酔って、醤油ラーメン大盛り餃子セットをまるごとリバースしたのだけれど。それからKはずっと後部座席でダウンしていたのだけれど、「うー気持ちわりい……殺してくれー……」と垂れ流すKはいつものKだった。そうして隣では、辛うじて車内では吐かれなかったものの、「せっかく奢ってやったのに」だとかSが小言を言っている。いつも通りを久しぶりに感じた様な気がした。やっぱりこういうのがいい。僕はSの小言を聞きながら、安堵と共に欠伸を一つする。今回のこと。人の死をリアルに垣間見てしまった後でも、結局懲りずに僕らはまたオカルトに首を突っ込むのだろう。どうしてかと問われても、きっと分かりっこない。説明なんて出来るはずもない。そういうモノこそが、オカルトなのだから。ちなみに後日、僕らが遭遇したひき逃げ事件のことと、そのひき逃げ犯が捕まったいう記事が地方紙の片隅に載っていた。記事によると、被害者の血で書かれたナンバーが現場に残されており、それが決め手となったそうなのだが。事故後、頸椎を損傷した被害者は文字が書けなかっただろうこと。そして、そのナンバーが実は被害者の死後に書かれたものだとは、何処にも載ってはいなかった。
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