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千体坊主

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  • 千体坊主とは

    「超」怖い話 辰 (竹書房怪談文庫)
  • その年の夏は、
    猛暑に加えて全国的に中々雨が降らず、
    そこらかしこで水不足に悩まされていた。

    ダムの水が干上がって底に沈んでいた村役場が姿を見せたとか、
    地球温暖化に関するコラムだとか、
    『このままではカタツムリが絶滅してしまう』と真剣に危惧する小学生の作文とか、
    四コマ漫画の『わたる君』の今日のネタは、
    『アイスクリームとソフトクリームはどちらが溶けるのが早いか』で、
    わたる君が目を離した隙に妹のチカちゃんが両方平らげてしまうという、そんなオチとか。

    床に広げた今朝の新聞。

    天気予報の欄に目を移すと、
    今後いつ雨が降るのかはまだ予想できないと書かれていた。

    窓の外に目を向ける。

    確かに雨の予感は微塵も感じず、
    今日もうんざりするくらい晴れている。

    「……なあなあ、ちょっとさ、休憩せん?」

    「でーきーた。ほれよ、八百体目」

    友人のKは僕の提案が聞こえなかった様で、
    数十体のティッシュペーパー人形が僕の目の前にどんと置かれる。





    僕の仕事は、
    この人形たちの腰から下げてる糸の先にセロテープをつけて、
    一体ずつ天上から吊るすことなのだ。

    すでに天上には七百体以上の人形が吊るされていて、
    まるで……と言っても形容できるようなシロモノではない。

    この状況は、
    昨日の夜から今日の朝にかけて、
    僕とKが二人がかりで創り上げたのだ。

    常識ある人が見ればギョッとするような光景だが、
    すでに僕の常識はマヒしているのだろう。

    「Sも手伝ってくれりゃあ良いのになあ。
    途中で帰りやがって。冷てーやつだ、全くよぉ」

    Sと言うのは僕ら二人の共通の友人だ。

    彼には常識があるし、
    間違っても徹夜で紙人形を作る様な人間では無い。

    「まあバイトって言っても、この内容聞いたら普通は断るよ」

    「おめーはやってんじゃん」

    「内容訊かずに『うん』って言っちゃったからね」

    もう分かっているかとは思うが、
    僕が言う人形とは、てるてる坊主のことだ。

    しかもこの天上に吊るされている彼らは、
    皆一様にスカートを上に、頭を地面に向けている。

    つまり逆さ。

    『ふれふれ坊主』だの、
    地方によっては『るてるて坊主』と呼んだりもするそうで、
    Kは『ずうぼるてるて』と呼んでいる。

    普通のてるてる坊主が晴れを願って吊るされるものなら、
    『ずうぼるてるて』はその逆、雨を願うものだ。

    「さっき新聞で見たけど。
    今日からの週間天気予報じゃさ、
    雨が降る気配なんてこれっぽっちも無さそうなんだけど……」

    「だから面白れーんじゃねーか。
    通常じゃありえねーことが起こるから、オカルトなんだよ。
    ったりめーだろ」

    言いながらKは、
    二百枚入りのティッシュ箱を新たに開けて、
    一番上のティッシュ抜き出す。

    ティッシュは薄い紙が二枚重なっているので、
    上手く剥がして一枚を二枚に分け、

    ちょいと人差し指を舐めてから、
    その薄い一枚をミートボールくらいに丸める。

    その上にもう一枚を被せ、
    首の部分をねじってタコ糸を添えてセロテープで固定する。

    その流れる様な一連の手捌きは、
    もはや素人の域では無い。

    「でもさ。
    これでもし明日普通に晴れても、
    バイト代返せなんて言わんでよ」

    「言わねーよたぶん」

    「いやたぶんじゃなくて」

    言い忘れていたが、
    現在僕が居るここはKの部屋だ。

    僕がKに呼ばれて、
    この学生寮の二階の一番奥の部屋にやって来たのは、
    今現在から十五時間ほど遡った、
    昨日の午後四時が若干過ぎた頃だった。

    大学でその日一日の講義が終わった後、

    「このあと暇ならよー、
    ウチで簡単なバイトしねーか?」

    というKの誘いに乗ってしまい、
    オカルティックな趣味を持つKの実験に付き合わされることになった。

    千体坊主。

    全部Kから聞いたことになるけども、
    千羽鶴にも似たこのまじないは、
    千体のティッシュペーパー人形(別に紙なら何でも良い)を吊るすことで、
    明日の天候を人為的に変えてしまうというものだ。

    人形の頭を上にすると晴れ。

    下にすると雨。

    但し、条件が三つあるらしい。

    まず一つは、
    人形を作る時に中に詰める方の紙を、
    自分の唾液(ホントは血液の方がいいらしいが)でほんの少し湿らせる。

    二つ目に、
    作っている人は千体坊主完成まで絶対に家の外に出ないこと。

    この場合はKが作っている人になる。
    (僕は別に出ても良いらしい)

    途中で出たらなんか悪いことが起きる、
    とのこと。

    三つ目は、
    人形を千体吊り終えたら、
    とある『うた』を歌うこと。

    千体坊主が完成し、
    無事うたを歌い終えれば、
    次の日の天候はその人の望んだものになる、らしい。

    K自身も知ったのはネット上のとある掲示板だという話なので、
    あまり期待はしてないそうだけども。

    僕もオカルトが嫌いではないので、興味はある。

    給料も出るということなので、
    だからやってみようと思ったのだが、
    予想に反して時間が掛かる掛かる。

    はっきり言って最後の方はかなり後悔していた。

    ちなみに、
    最後に歌うといううたの内容は、
    三番まであって、晴れ用と雨用の二種類あると言う。

    それ以上は教えてもらってない。

    てるてる坊主の歌というと、
    僕が知るのは童謡くらいだけども、
    関係あるのだろうか。

    そうこうしているうちに、
    八百体目の人形を天上に吊るし終えた。

    もうKは九百体に王手をかけ、
    カウントダウンが始まるのもそう先のことではないだろう。

    但し、ここまで来るのに相当長かった。

    正確に言えば、
    食事と休憩も入れて十六時間くらい。

    「うーん……、眠たーい寝たーい夢見たーいー」

    「さっきからうっせーな。
    ダイジョーブだって。
    人間三日くらい寝ずに働いたって、
    死にゃしねえんだからよ」

    「一体三円って、
    絶対割に合わない気がしてきた……、
    自給にしたら二百円以下じゃん」

    「今頃おせえよ」

    しかし、
    Kだって昨日から寝てないはずなのに、
    明らかに僕より元気なのが不思議だ。

    そうこうしている内に、
    天井に吊るされた『ずうぼるてるて』の総数が九百五十を越えた。

    残り五十。

    頭上を埋め尽くす逆さに吊るされた白い人形。

    下から見上げれば、
    まるで僕らの方が天井にへばりついているかのような錯覚を覚える。

    錯覚してる間に残り十体だ。

    Kも一緒に天井に貼り付けながら、
    カウントダウンが始まる。

    ……997……998……999……、1000。

    「おおー……!」

    その瞬間、
    僕は思わず感動の声を上げていた。

    消費ティッシュペーパー千と六枚
    (※途中鼻かんだから。最後で『六枚足りねえ』ってなった)。

    タコ糸約三百メートル。

    セロテープ丸々一個と半分。

    天上の消費面積、
    六畳間まんべんなく。

    総消費時間約十六時間と四十分。

    千体坊主。完成。

    「うわきめえー」

    感動の千体坊主完成を経て、
    Kがまず発した言葉はそれだった。

    僕はかなり本気で、
    バイト代要らないからぶん殴ってやろうかなこいつ、と思った。

    「ま、何にせよ。後はうたを歌うだけってか。
    あー後は一人でやんよ。
    疲れただろ、ワリーなこんな時間までよ。
    ……ほれ、バイト代」

    そういってKはポケットから財布を取り出すと、
    ちょいと人差し指を舐めて、
    中から千円札を三枚取り出した。

    もはや癖になっているようだが、やめれ。

    「ってことで。今日は帰って、良く寝るこった」

    「……今日一限目からあってだね。
    テストも近いから寝れん」

    僕の言葉にKは「うはは」と笑う。

    「マジかよー。
    でもまー、人間三日寝ずに働いたって死にゃしねえからさ。
    だから頑張れ若人よ……
    つーわけで俺は昼まで寝るわ。
    明日の天気を楽しみにしとけ。
    そんじゃ、おやすみ」

    そう言ってKは部屋の隅に立ててあった折りたたみベットを広げると、
    その上に、バフン、と身を投げた。

    ポーズじゃなくて本当に眠る気だったらしく、
    Kは十秒で死体の様に静かになった。

    僕は最後に何か言ってやろうと思ったけど、
    結局、溜息だけをついて部屋を出る。

    その際に、一度だけ振り返って
    再度部屋の様子を確認してみた。

    千体の『ずうぼるてるて』の下で
    気持ちよさげに眠るこの部屋の住人。

    不思議と異様だとかは思わなかった。

    やっぱり、夜なべのせいで
    常識がどこかに転げ落ちたのだろうか。

    僕は一限目の講義を受ける前に、
    せめてコーヒーを一杯飲んどこうと思った。

    瞼が重い。

    学生寮から外に出ると、
    刺さる様な陽射しが出迎えてくれた。

    この調子で本当に明日雨なんて降るのだろうか。

    講義中もふとそんなことを考える。

    案の定その日の講義は、
    眠気と相まってさっぱり頭に入って来なかった。

    昼からの講義で僕の隣に座ったSが、

    「眠たげだな。
    まさかとは思うが……、
    一体何してたんだお前」

    はい。てるてる坊主作ってました。ゴメンナサイ。

    何とかノートを取ることだけに専念し、
    ようやく全部の講義が終了。

    わき目も振らずに家に帰ると、
    ご飯も食べずシャワーも浴びずに
    即効でベッドに倒れこんだ。

    完全に眠るまでに、
    三十秒もかかってないと思う。

    その時見た夢は、
    今朝の新聞で見た四コマの
    『わたる君』とまるで同じ場面だった。

    妹のチカちゃんがアイスに手を伸ばそうとしている。

    いけない。

    それは君のお兄さんが持つ知的好奇心から生まれた、
    素晴らしい実験装置なんだ。

    何とか止めようとしたのだけれど、
    チカちゃん背に手を伸ばした瞬間に僕は目を覚ました。

    携帯が鳴っている。

    かなり身体がだるい。

    僕は壁に掛けてある時計に目を向ける。

    午前零時過ぎ。真夜中だ。

    電話なんて無視しようかとも思ったけど、
    一応相手を確認する。

    Kからだ。

    僕は無視することにした。

    ……止まない。

    観念して電話に出る。

    文句を言ってやろうと思ったけど、
    それより相手の声の方が早かった。

    『おい、雨が降ってるぞ!』

    中途半端に起こされたので、
    まだ片足が夢の中だった。

    だから僕は中々Kの言葉の意味を掴むことが出来なかった。

    そりゃ雨だって降るだろう、
    降らなきゃ困る。

    今年だってそれで困っている人がたくさんいるのだから。

    そんなことをたっぷり数秒考えて、
    僕はやっとその意味に至った。

    「え、ホント!?」

    僕は慌ててカーテンの隙間から窓の向こうを見やる。

    外は晴れていた。

    僕は目をこすってもう一度星空の下を注意深く見る。

    比較的明るい夜だ。

    紛れもなく空は晴れている。

    「……晴れてんだけど」

    こんなつまらない冗談のために起こされたのかと憤慨しかけるが、
    次いで聞こえたKの声は普段と違って割と真剣なものだった。

    『すまん、聞こえねえ。
    もうちょいデカイ声で喋ってくれ』

    「晴れてんだけど!」

    『ああ、んなこた分かってる。
    それでも、雨が降ってんだ』

    本格的に意味が分からない。

    晴れてるのに雨が降ってる。

    どんな状況だそれ。

    「それって、キツネ雨ってこと?
    Kの寮の周りだけ?」

    『は、キツネ雨?……違う。雨は降ってない』

    少しイラっとくる。

    僕は眠たいのに。

    「あんさあ、ちょっと意味が――」

    『音だけなんだよ』

    Kははっきりとそう言った。

    『雨音だけが聞こえる。
    今外雨降ってないよな?だろ?
    なのに聞こえるんだぜ。
    耳ふさいでもまるで止まんねえし。
    最初は小雨程度だったけど、
    何かドンドン強くなってる気がするし。
    たぶんな、ちいとやべえよ、これ』

    これは決して僕をからかっているのではない。

    これまでの付き合いから僕にはそれが分かった。

    Kは嘘をついていない。

    本当に雨が降っているのだ。

    Kの中で。

    『でさー。
    コレ非常に言いにくいんだけど、
    まー、頼みがあんだよ』

    「……何?」

    Kは本当に言い辛いのか、
    電話の向こうで数秒間を置いた。

    『今からさ、バイトしねーか?
    材料はもう揃えたからよ』

    その言葉で僕は全てを承知した。

    「分かった……、行くよ」

    電話を切り、
    そのまま家を出る。

    そうして愛車のマウンテンバイクに跨る前に、
    僕は友人のSに電話をした。

    真夜中だがきっと起きてる。

    予想通り電話に出たSに、
    僕は少し迷った挙句、
    正直にことの次第を話した。

    「Kがバイト代も出すってさ」

    と言ったのが唯一の嘘だ。

    しかしSは興味もなさげに一言、

    『てるてる坊主のせいで幻聴が聞こえるとか、
    俺はそういった類は信じていない。
    あと今はテスト期間中だぞお前。
    二日も無駄にすんなよ』

    僕は

    「そっか……。うん、分かった」

    と電話を切った。

    僕はSとも付き合いが長いから分かる。

    そう言ってくるだろうとは思っていたんだ。

    Kの寮に行く前に、
    コンビニ寄って食品とコーヒーを買う。

    自転車を漕ぐ。

    大学までの坂道がしんどい。

    それでもかなり飛ばして、
    いつもの通学より大分早い、
    コンビニから二十分程でKの住む学生寮に到着した。

    Kの部屋は二階の一番奥。

    鍵は掛かっていなかった。

    僕は二回ノックして、部屋に入る。

    入って最初に思ったのは、
    天井のアレが綺麗に無くなっていて、
    さっぱりしたなということだった。

    部屋の中ではもう、
    新しいてるてる坊主が山の様に積まれていた。

    二百はあるだろうか。

    Kは僕が部屋に入って来たことに気付いていない様だった。

    黙々とてるてる坊主を作っている。

    Kの顔は酷く青ざめている様に見える。

    作業台の前に来ると、
    Kはやっと僕に気がついた様だった。

    「よお」と言うKの声が酷く掠れたように聴こえた。

    そうしてKは、
    部屋の棚から一冊のノートとペンを僕に差し出すと、
    自分の左の耳を二度指で叩いた。

    「……さっきから土砂降りでよ。
    なんか台風見てーだわ。
    ……ワリーけど、何か言う時はそのノートに書いてくれ」

    僕は軽く驚きながらも、
    『了解』とノートに書いて見せる。

    つい最近千体もの数を作った時と同じ様に、
    Kがてるてる坊主を作り、
    僕が天井に張り付けていく。

    しかし、今回のKの手の動きは鈍かった。

    しきりに頭を横に振っている。

    その額には玉の様な汗が浮かんでいる。

    『作るの代わろうか?』

    と書いて訊いてみるが、
    Kは首を横に振る。

    どうやらこの千人坊主は、
    人形自体は自分の手で作らなければならないらしい。

    しかしまだ人形は二百と少し。

    僕は少し焦っていた。

    もう病院に行った方が良いのでは、
    という考えが一瞬よぎるが、

    この千人坊主のルールで、
    部屋を出てはいけないとあったのを思い出す。

    悪いことが起こる。

    くそう、悪いことって具体的に何だよ。

    その時、僕はふと雨音を聞いた気がした。

    そんな馬鹿な。

    さっきまでは晴れてたのに。

    咄嗟に窓の外を見る。

    雨など降っていない。

    外は晴れている。

    気のせいだろうか。

    いや、今もかすかだけど聞こえる。

    僕は一瞬、背筋が寒くなるのを感じた。

    まさか僕も……?

    しかし注意深く音の出ている方を探ると、
    それは僕の中ではなく、
    外から聞こえてくるものだと分かった。

    Kだった。

    雨音はKの両耳の奥から洩れてきているのだ。

    まるで他人のヘッドホンから音が漏れる様に、
    外に音が漏れるほどの激しい雨なのだ。

    本人にとっては耳鳴りなどという
    生易しいものではないのかもしれない。

    そこに至ったとき、
    僕は途端にどうすればいいのか分からなくなった。

    見ると、
    Kは額だけでなく腕にも汗をかいている。

    部屋はクーラーが効いているのに。

    僕はノートに『大丈夫?』と書いて見せた。

    Kはしばらくの間、
    ぼーっとその文字を見てから、
    「はは」と力なく笑い、
    「……やっべえ」と一言だけ呟いた。

    初めて見るKのそうした姿だった。

    僕は何も言うことが出来なくて、
    まあ例え口に出しても届かないのだけど、

    目を瞑って

    「とりあえず落ち着いて考えろ」

    と口に出し自身に言い聞かせる。

    しかし考えは浮かばず、
    どうして良いのか分からない。

    今、Kの手は動いていない。

    顔をしかめてじっと俯いている。

    どうしよう。どうしたらいい。考えろ考えろ。

    自分一人に、何ができる?

    部屋のドアが開いた。

    「あー、本当にやってんのな」

    そこに立っていたのは友人のSだった。

    とりあえず僕は長い息を吐いてから、
    「おっせえ」と言ってやった。

    これまでの付き合いから、
    ぶつぶつ言いながらも来るというのは分かっていたんだけれど。

    「仕方ないだろ。
    そんなことより、バイト代はほんとに出るんだろうな」

    金に困ってない癖に、
    Sはそんなことを言った。

    「……で?こいつは一体どうしたんだ」

    言いながらSが作業台の横に来ても、
    まだKはSのことに気が付いていない様だった。

    僕は今は会話できないKの代わりに、
    Sに現在の状況を一から説明する。

    それに対してのSの感想は
    「ふうん……」と実に簡素なものだった。

    それからKの方に近づいて、

    「俺には聞こえんな。雨音」

    と言う。

    「――おいコラKっ!」

    Kの耳元でSが叫ぶ。

    僕は驚く。

    しかしKは反応しなかった。

    それを確認して「ふうん」ともう一度Sは言う。

    しかし、Sその言い方から
    何か納得はした様だった。

    Sがノートを持って何かを書く。

    そしてKの肩をポンポンと叩いた。

    Kが顔を上げた。

    その目が少しだけ驚いた色の光を放った。

    しかし他の感情が見えたのはそこだけだった。

    Kは歯を食いしばって、
    暴音という痛みに耐えていた。

    僕にはその実際の痛みの程は分からないが、
    表情だけで十分痛さが想像できる。

    Sがノートを指差した。

    読めと言うことなのだろう。

    首を伸ばして覗くと、
    ノートにはこう書かれていた。

    『前の雨乞いの時に使ったっていうてるてる坊主はどうした?』

    もう喋ることも辛いのだろう、
    Kは黙ったまま押し入れを指差した。

    Sが開けると、
    透明なビニール袋の中に入ったあの人形達が出てきた。

    ビニール袋は五つもある。

    Sはそれを確認すると、
    またKの元に戻った。

    『これからこの人形を全部捨てて来る。
    あと、今作ってる奴も一緒にだ』

    それを見て僕は驚いた。

    前に使ったものは良いとしても、
    何故、今作っている人形まで捨てるというのだろうか。

    しかし、
    Kはその文字をゆっくりと視線を這わすようにして読んだ。

    そしてSに視線を戻す。

    それからきつく目を瞑り、
    天井を仰いで、Kは掠れた、
    しかしいつものKの声で言った。

    「おーけー、わかった」

    理由も聞かずにKはそう言ったのだ。

    Sは一つ頷いて立ち上がり、
    机の上にあった作りかけの人形を集めて、
    新しくゴミ袋の中に入れた。

    そして僕に向かって
    「半分持てよ」と言った。

    混乱していた僕は、
    はっとして、急いで六つの内の半分を持った。

    量が多いだけで全く重くはない。

    「あーそうだ」

    部屋を出る際にSは何か思い出した様に呟き、
    ゴミ袋を床に置くと、Kの方へ戻って行った。

    ノートを手に取って何かを書き、
    Kに見せる。

    Kが頷く。

    するとSがKの背後に回る。

    それは一瞬の出来事だった。

    Sの腕がKの首に絡みつく。

    五秒もかからずKは落ちた。

    唖然とする僕に、
    Sは平然と「行くぞ」と言ってまたゴミ袋を手に取った。

    「な、なな、なんで?」

    と訊く僕に、
    Sは何でもない口調で

    「『それじゃ眠れねーだろ』って訊いたら、
    肯定したからだ」

    と言った。

    「……チョークスリーパー?」

    「いや、裸締め」

    そう言えば、
    Sは中学高校と柔道部だったとKから聞いたことがある。

    何でも、
    ものすごく強かったせいで喧嘩を売る輩が絶えず、
    しかしその全てに勝ったためSはその町の……、
    いや、これ以上は言うまい。

    近所のゴミ捨て場にでも捨てるのかと思ったら、
    Sは自分の車を使って、
    人形達をどこか遠くへと捨てに行くつもりらしかった。

    後部座席に五つゴミ袋を詰め込み、
    僕は袋を一つ抱いたまま助手席に座る。

    車は未だ何処へゆくかも分からないまま発進した。

    「なあ、これから、何処行くん?」

    「河だ。近所の、汗見川」

    Sはそう答える。

    それは意外な答えだった。

    「か、川?」

    「そうだ。
    ……ああ、その前に、少しばかり酒屋に寄るぞ」

    「さ、酒屋!?」

    「酒が要る」

    僕にはSの考えがまるでさっぱり分からなかった。

    もちろん、夜の河原で酒盛りしようぜ、
    などと言っているわけではないことは分かる。

    しかしなら何故、
    酒屋に寄って目的地が川なのか、
    僕の頭では合理的説明を出すことは出来なかった。

    どうしてか。何故か。分からない。

    「……そもそもがおかしいだろ。その千人坊主ってのは」

    「え?」

    小さな交差点の赤信号で停まった際にSは話し始めた。

    どうやら僕の混乱を見てとったらしい。

    「お前らは、おかしいとか思わなかったのか?」

    「いや、思ったけど……。
    夜なべで千体もつくらなきゃいけないってとことか……」

    「そうじゃなくてだな。
    結果からみても明らかだが、
    あれは天候を変えるまじないなんかじゃない……。
    人が人を呪う類のものだ」

    信号が赤から青に変わって車は走り出し、
    僕は腹から胸に掛けて、
    ぐう、と慣性の力を感じる。

    「まずやり方からしておかしいだろう。
    人形に自分の血か唾液を染み込ませるなんて方法は、
    どう考えても占いや呪術の方面だ。
    明日の天気を変えてほしいと願う対象を、
    自分の形代にしてどうする。
    自分で自分に願うのか」

    「……かたしろ、って?」

    「本物の模倣品ってことだ。
    呪いのわら人形とかもそうだろ。
    あれも相手の髪の毛や、
    身体の一部を用いるそうだから」

    僕は自分の抱える数百体の人形を見る。

    この一体一体全てに、
    Kの身体の一部だったものが付着している。

    確かにそうだ。

    「二つ目に、千体目が出来た時に歌う歌だ。
    ……実はKの家に行く前に、
    ちょっとネットで調べてみた。
    お前が電話で言ってた、千人坊主とやらをな。
    検索掛けたらすぐ出てきた。
    あるオカルト系の掲示板に、一からやり方全部載ってた。
    全く賑わってはなかったがな。
    最後に歌ううたは、晴れを願う場合は、
    有名な童謡の『てるてる坊主』だ。
    聞いたことぐらいあるだろ」

    そう言って、
    Sはそのうたの歌詞を口ずさんだ。

    てるてる坊主 てる坊主
    あした天気に しておくれ
    いつかの夢の 空のよに
    晴れたら 金の鈴あげよ

    てるてる坊主 てる坊主
    あした天気に しておくれ
    私の願いを 聞いたなら
    あまいお酒を たんと飲ましょ

    てるてる坊主 てる坊主
    あした天気に しておくれ
    それでも曇って 泣いてたら
    そなたの首を チョン切るぞ

    「……これが、晴れを願う場合の歌なんだそうだ。
    一方で、雨を願う場合は少し違った歌詞になる」

    そうしてSはまた口ずさむ。

    ずうぼるてるて ずうぼるて
    あした雨よ ふっとくれ
    いつかの朝の 地のように
    降らせば 赤い飴あげよ

    ずうぼるてるて ずうぼるて
    あした雨よ ふっとくれ
    私の願いを 知ったなら
    からいお酒を たんと飲ましょ

    ずうぼるてるて ずうぼるて
    あした雨よ ふっとくれ
    それでも笑って 晴れたなら
    そなたの足を チョイと椀(※も)ぐぞ

    「これが、雨を願う場合の歌詞。
    どちらも、大した変りは無い。
    三番目の最後の部分が、
    どちらも願いが叶えられなかったら危害を与える、
    という内容だ。
    実際にある童謡でも、
    ちょん切るとか言ってるしな」

    「それが、耳の中に降る雨と、どう関わるん?」

    「『そうされないために人形達は一生懸命天気を変えようとするのです』」

    「え?」

    「ネットの掲示板にあった言葉だ。
    やり方を説明した部分のな。
    ……もしも人形につばや血を付ける行為が、
    人形を限りなく『生きたモノ』に近づけるためだとする。
    そうして吊るされた千体の人形に、
    もしもほんの少しの意思を持ったとして、
    その意思は何のために使われる?」

    「何のため……」

    「天候を変えるためだ。
    しかし、現実はそんなに貧相なものじゃない。
    天気は気象にのっとって動く。変わらない。
    だとしたら、首を切られないために、
    足を椀がれないために、
    千体の人形に変えることが出来るのは、どこだ?」

    Sはゆっくりと続けた。

    「それは頭だ。人間の脳味噌の中の、僅かな部分」

    僕は黙ってSの話を聞いている。

    腕の中の人形達が何だかざわついている気がする。

    「勘違いすんなよ。
    俺は別に、人形に命や意思が宿るなんて思っちゃいない」

    そこでSは少しだけ笑った。

    何が可笑しかったのかは僕にはわからない。

    「……つまりは、『そういう筋道』が、
    意識下か無意識かは人次第だろうが、
    この千人坊主を行うプロセスの中で、
    『出来上がって』しまう。
    ……千個も作った後なら、
    時間もかかって集中力も使ってるだろうしな、
    暗示に掛かりやすい状態ってわけだ。
    『部屋から出てはいけない』っていう注意文句もここに掛かって来る。
    時間を置いて作らせない、一気に集中的にやらせる」

    Sの言葉によって、
    頭の中に一つの話の道筋が浮かんでくる。

    けれども、
    それは決して気持ちのいいものじゃない。

    「あそこにアレを書きこんだ奴の気が知れないな。
    愉快犯って奴か。
    そう言う意味じゃあ、
    解決策と思しきものを暗に示してる、
    って点でもタチが悪い。
    雨が降り続ければ、人は晴れ間を望む。
    ああいう形でセット出だされれば、
    誰だってもう一方が解決策だと思う」

    どくん、と心臓がはずむ。

    Sの言わんとしていることが理解出来たからだ。

    雨を願って、
    Kの頭の中に雨が降る様になった。

    だとしたら、晴れを願えば……。

    「これは憶測だが……
    目に関することじゃないかと、俺は思う」

    光。光のイメージ。

    目の前で輝く何か、
    時を追うごとにそれはどんどん激しく眩しくなっていって、
    ついには……。

    「俺は、幽霊とか超能力とか、基本的に信じていないが、
    『呪い』はあると思ってる。
    いや、あってもいい、と思ってる」

    車は目的地である汗見川の川沿いに建つ、
    一軒の個人経営らしい店の前で停まった。

    看板には『酒・タバコ』とあるが、
    もうシャッターは閉まっている。

    「あるプロセスを通して、
    生きた人間から生きた人間へ。
    その間に意思と脳みそがある以上、
    ある程度の何かが起こっても不思議じゃない」

    そう言って、
    Sは一人車から降りていった。

    そしてシャッターの横の勝手口の前に立ち、
    ノックした。

    しばらく間があってから僅かに扉が開く。

    そこでSが二言三言何かを言うと、
    ドアの隙間が大きくなって、
    Sは店の中に入って行った。

    次にSが出て来た時、
    その手には一升瓶が抱えられていた。

    「これ持ってろ。じゃ、行くぞ」

    「……S。ここの人と、知り合いなん?」

    「そんなとこだ。一番からいのを選んでもらった」

    そして車は近くの河原へと降りる道を進んで行く。

    タイヤが河原の意思を踏む音がした時、
    Sは車を停めた。

    河原自体はそれほど広くない。

    停めた車のすぐ近くに川の流れがあった。

    「さてと。ここらで良いだろ」

    とSが言う。

    ただ、僕には何が良いのかは分からない。

    Sが車のライトをつけたまま車を降りる。

    そして後部座席の戸を開いて、
    人形入りのゴミ袋を取りだす。

    「これからやることだけどな。
    作業には変わりないぜ。
    ま、人形作って吊るすよりは楽だろうがな」

    そう言って、
    SはさっきKの部屋でノートに書くために使ったペンを僕に渡した。

    持ってきていたらしい。

    「ざっと説明するぞ。人形に顔を書く。
    記号的な顔でいい、凝る必要は無いからな。
    そんで、一袋分たまったら、酒をかけて、川に流す。
    分かったか?」

    分かったけど、分かんなかった。

    実際に何をするかは分かったけど、
    何でそんなことをするのかは全く分からなかった。

    僕は曖昧に頷く。

    「……まあいい、ただ顔を書けばいいんだ。
    時間もアレだしな、さっさと済ますぞ」

    夜の河原でティッシュペーパー人形に顔を描いてゆく。

    ちょんちょんちょん、すうー。
    で目と鼻と口の出来上がり。

    簡単だ。一体十秒もかからない。

    それでも千二百体は少なくともあるので、

    僕らはただ黙々と作業を続けた。

    一つのゴミ袋に一杯になったら、
    その中に直接酒を入れる。

    そして川に膝まで入って、
    中身を水の流れに沿って一気にぶちまける。

    夜の川にさらさらと流れてゆく人形達は、
    どこか幻想的で、でもこれはゴミの不法投棄なわけで。

    「……役目の終わったてるてる坊主は、
    こうして川に流すものなんだそうだ」

    とSが作業中、
    何処かの折にぽろりとこぼした。

    そうなのか、と思った。

    確かに首や足を取られるよりかは、
    こっちの方が随分マシな様な気がする。

    全ての作業が終わった時、
    もう東の空から太陽が上り始めていた。

    最後の一体を見送って、
    僕とSは同時に伸びをした。

    「Kの奴は大丈夫かねぇ……」

    「まあ、大丈夫だろ。呪いには呪いをってやつだ」

    「何それ」

    「知らん。適当に言ってみただけだ。
    いずれにせよ戻れば分かる、出すぞ」

    Sが車に乗り込む、
    僕も慌てて助手席のドアを開けた。

    日が出たと言っても、
    大学までの道に人影はほとんど無い。

    戻って来た学生寮の周辺もそうだった。

    ここに戻って来た時、僕はどうしてか、
    幼少時、母に怒られて家を飛び出したあと、
    そろそろと足音を立てないで
    家の窓から侵入した時のことを思い出していた。

    なんだか妙に後ろめたいという感覚。

    ただ、Sはそんな思いは微塵も感じていない様で、
    車を降りてずかずかと寮の中に入って行った。

    Sは二階のKの部屋まで一直線に、
    僕はそろりそろりとその後ろをついて行く。

    一階の集合ポストに新聞が挟んであったので、
    ついでにKの分を抜き取る。

    部屋の中でKは、
    僕らが出ていった時と同じ体勢で作業台の横に倒れていた。

    Sがその背中を軽く蹴る。起きない。蹴る。起きない。

    それからSはKの上半身を背後から抱き起こすと、
    両脇の下から腕を入れて両手をKの首の後ろで固定する。

    その状態でSが「んっ」と力を入れると、
    Kの半開きの口から「ほひゅっ」と変な音が漏れた。

    「……う、うおう!?」

    Kが起きた。

    するとSはすかさずKの目の前に自分の手をかざし、
    人差し指と中指と薬指を立て、極々小さな声で言った。

    「……何本だ?」

    Kは未だに状況が上手く掴めていないらしく、
    数回高速で瞬きした。

    「何本だ?」

    Sがもう一度、囁くように訊く。

    「う、あ?……あ。えー、三本、だ?」

    「よし。耳は聞こえてるな。目も意識も問題ないようだ」

    そこでKはようやく自分の変化に気がついたようだった。

    「お、おー!ホントだ。雨が、やんでら……」

    それを聞いた瞬間、
    僕の中で張りつめていたものが煙の様な音を立てて抜けていった。

    安心すると、
    油断をしたのか腹の底から大きな大きな欠伸が出た。

    そのせいでちょっと涙が混じった。

    欠伸がてらに、
    上手く呑み込めていないKに状況の説明をしてやった。

    こっちは真剣に話しているのに、
    相槌がいちいち「へーえ」とか「ほーお」とかばかりだったのが気になったが、
    まあ、それは良いとしておこう。

    「……呪いかよ。こえーなあ、しかも無差別なんだろ?」

    「インターネットの様な環境は、
    そういうものをばらまくのに最適だからな。
    まあ、そんなもんに迂闊に手を出す奴も悪いんだが」

    「あー、いや。マジ反省してる。
    ……今回はキツかった。いやマジまいった。
    次からはさ、こういうことの無い様にすっから」

    「次があったら見殺すぞ。
    あとバイト代よこせよコラ」

    「はっはっは。またまた冗談を」

    そんな今日も冴えている漫才コンビの後ろで、
    僕は先程ポストから持ってきた今日の朝刊の週間天気の欄を見ていた。

    六日間晴れマークの続いた後に、
    ぽつんと傘のマークがついている。

    ふと思い出す。

    もしも今回のことが呪いのせいならば、
    僕がKの耳元で聞いたあの本物の雨の音も、
    やっぱり呪いの類だったのだろうか、と。

    分からない。

    呪いは伝染するのかもしれない。

    良い意味でも悪い意味でも。

    その証拠に、
    SがKを絞め落とす際に見せたノートに書いた言葉、
    机の上に開きっぱなしになっているそれには、

    『耳鳴りで眠れないか?』

    の下に走り書きで、

    『目が覚めたら、全部終わってる』

    と書かれていた。

    もしかしたら、
    これがSの言っていた呪いには呪いというヤツだろうか。

    ちなみに、
    四コマ漫画『わたる君』の今日のネタは、

    『どうしても遠足に行きたいわたる君が、
    てるてる坊主を百個作ってベランダに吊るして、
    作り過ぎだとお天道様に呆れられる』

    というものだった。

    Kに見せると、

    「ギャグ漫画にリアルで勝つとかオカルトだろ……」

    などとわけの分からないことを口走っていた。

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