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旧制服の警官
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地下鉄サリン事件が起きた年の夏。 当時、我が家は四室のみの小さいアパートを経営していた関係で、 何度か警察が巡回に来ていた。 八月のその日、高校野球を見ていると玄関のチャイムが鳴り、 応対に出た母が何か話し込んでいるので、様子を見に出た。 玄関には制服姿の警察官がいた。 小太り、中年のごく普通の警官だった。 彼は 「すみませんが、アパートの住人の件でお話を伺いたいのですが」 と言いながら名刺を差し出した。 受け取った名刺には、 『○○警察署 刑事課 ××』 とあったが、不思議なことに××の部分が読めない。 難読漢字とか珍しい名字というわけではない。 ありふれた漢字なのに、名字として意味を成していない、 というか、私の脳がどうしてもそれを意味のある文字として認識しない、 という感じなのだ。 実は私は国語科教師であり、漢字には多少なりとも自信がある。 簡単な文字なのに、なぜ読めないのかわからない。 それから警官は、母が持ってきた住人の資料を改めると、 問題無し、というような事を呟き立ち去ろうとしたが、最後に振り返ってこう言った。 「なぜ、私が今日来たのかお分りですよね」 え?逃亡している地下鉄サリン事件の実行犯の、捜索の為なのでは? とっさに返事を出来ずにいると、彼は繰り返した。 ゆっくりと区切るように、 「私が、なぜ、今日、来たのか、おわかりですよね」 『今日』を特に強調するような、奇妙な口調だった。 そして警官は立ち去った。奇妙な違和感を残したまま。 それから…その日は八月十五日のお盆である事。 その日が外気温36℃を超える日であったのに、警官は冬の制服を着ていたこと、 小太りなのに汗一つかいていなかったこと、 更にその制服も旧いデザインであったことなどが、 ゆっくりと思い出されてきた…。 これが私の、少し奇妙な体験である。 母にも確認したが、母の記憶では、 警官は名刺ではなく警察手帳を広げ名前を示し、すぐにしまったのだそうだ。 だが同じく、名前は全く記憶していなかった。 単純に警察マニアの偽警官だった可能性も考え、 ○○警察署に問い合わせる事も考えたが、 警官はメモも取らず、住人の本籍を確認しただけだし、 何より『名前が解らない』奇妙な感覚の説明がつかないのでやめた。 「お盆に帰ってきてまだ働いてる、熱心な殉職警官なのでは?」 というのは弟の意見である。
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