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かなめさま
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俺がむかし住んでいた場所はド田舎で、町という名前は付いていたが、山間の村落みたいなところだった。家の裏手の方に山道があり、そこに『かなめさま』のお堂があった。もともとは道祖神だったらしいが、隣町への道路が整備されてからその山道自体が使われなくなり、通る人も絶えて寂れてしまった。かわりにというか、いつ頃からか『かなめさま』に、身を忍んで人に言えないような悩みを打ち明け、願をかける慣習ができた。そんな成り立ちも今にして思うだけで、俺がガキの頃はとにかく『かなめさま』はタブーで、昼間でもそのあたりは近寄りがたかった。見ても見られてもいけない。 牛の刻参りのようなものだ。俺が5,6歳の頃に化膿で膝が腫れて、かなり危なかった時、祖母が『かなめさま』に行って、「かわりに病気を被ってくだされ」と願をかけたらしい。おかげかすっかり膝は治ったが、あとでそのことを聞いてから、俺の中で『かなめさま』はますます恐ろしい存在になった。中学に上がったばかりの時、夏祭りの盆踊りが終わったあと、悪友たちと肝試しをしようということになった。祭りという晴れを経たせいか、みんな妙に躁状態で、普段なら絶対ありえないことを言い出した。「二郎さんて青年団の人おるやろ」一番年かさのAが言った。「あの人が昔、かなめさまのお堂に入ったんやと。中にな、石ころがあったらしい」俺は猛烈に嫌な予感がしたが、あっという間に『かなめさま』の中身拝見ツアーに決まってしまった。山道の入り口に陣取って、一人ずつお堂に行き、中を見てから戻ってくる。それで最後に、見たものを一斉に言って確かめ合う、ということになった。入り口は広いが、すぐに道は曲がり狭くなる。両側からは木の黒い影が迫って、じっとりとした湿気を感じた。俺は負けると思ったジャンケンで勝って、一番最後になった。しかし、肝試しのセオリーではこれは失敗だった。一人目の言い出しっぺでもあるAが帰って来るまで、思ったより時間がかかった。何度か昼間に行ったことがあったが、こんなに遠かっただろうか。「おい、どうだった」と聞いたが、Aは「へへへ」と変な笑いをして答えなかった。二人目、三人目と終了して、四人目のKが青い顔をして戻ってきた。「覚悟したほうがええぞ」とうわずった声でKが言うと、先の三人も意味ありげに頷いた。残るは俺だけだったので、やつらは怖がらせる立場になったわけだ。怖気づいているとツボにはまりそうだったので、俺は思いきって山道に飛び込んだ。夏のせいか下生えが生い茂り、所々足元がよく見えないという恐怖があった。山に入ると、今更のように蝉の鳴き声に気が付いた。何時くらいだったのだろうか。蝉がこんなに遅い時間まで鳴いているのは妙な気がした。心臓がドキドキしてきた。小さなペンライトが一つあるきりで、あたりは完全な暗闇なのだ。ひときわ蝉の声が大きくなり、少し広い所に出た。そっと右手の方を照らすと、そこに『かなめさま』がいた。『あった』と思わなかった自分が一瞬怖くなったが、もう中を見るだけなので、勇気を奮い起こしてお堂に近づいた。人ひとりが入れるくらいの小さなお堂だった。木製の観音開きの扉は、スクリュウ螺子で床にとめられていた。「わざわざ締めやがって」と最後のKに悪態をつくと、何となく気が軽くなって、すんなり開け放つことができた。中には噂通り、ひと抱えほどの石が一つあるだけだった。鉢巻のようにしめ縄が巻かれている様子は、どことなくコミカルなものだったが、それを見た瞬間に息が止った。その石に異様な圧迫感を感じて、思わずむせてしまった。背筋を嫌なものが這いあがる感じ。ゴホゴホと咳きをして俯く。その時、信じられないものが見えた。視界の左端に、白い服がすぅっと入ったのだ。奥にのびる道のむこうから、誰かがやってこようとしていた。頭がパニックになり、とにかく『あれ』に会ってはいけないと思って、目の前に口を開けるお堂の中に、飛び込むように隠れた。扉を内側から閉めると、中は真っ暗だった。心臓がバクバクしている。人影を見た瞬間に、無意識にペンライトを消していたのだ。暗闇の恐怖よりも、光が外に漏れることの方が怖かった。あれは誰だろう。『かなめさま』に何の用だろう。決まっている。“病気を不幸を、恐怖を被ってくれ”やめてくれ、と心の中で叫んだ。中にいるのは俺なんだ。俺なんだ。蝉の鳴き声が鼓膜を破りそうだ。足音も何も聞こえない。ただ気配だけが扉の前にやってきた。胸がむかついて吐きそうだった。古びた木のお堂に、異様な匂いが充満しているようだった。饐えた匂いなんてもんじゃない。まがまがしい空気。瘴気とはこういうものを言うのだと、ぼんやり思った。俺はひたすら脱力して腰が抜けた。『あれ』は行ってしまっただろうか。何も感じなくなった。頭の芯のあたりが痺れていた。石は?石はどこだろう。手で探ればぶつかるだろうが、ふと奇妙な予感があった。『かなめさま』はこの『家』の中では、石という形ではないのではないかと。俺は咳きが喉の奥からせり上がって来るのを、ただただ止めようとしていた。どれくらいたっただろうか。陶酔にも似た疲労が体を覆い始めた時、急にとんでもないことが起きた。お堂の前に気配が近づき、扉を開けようとしていた。俺は心臓が止りそうになりながら、必死で内側から扉を引っ張った。しかし狭いために中腰が精一杯で力が入らない。気が狂いそうになった時、外から聞きなれた声がした。「おい、Yか?Yやろ」Aの声だった。扉が開かれて、ペンライトの明かりが闇を切り裂いた。友人たち四人が覗き込んでいた。俺は嵐のようにやってきた安堵感で、口がきけなかった。「おい、出ろや。いくぞ」四人は青白い顔をして、急かすように俺を引っぱり出した。そしてお堂の扉をバアンと閉めると、あとも見ずに早足でもと来た道を引き返しはじめた。俺も置いて行かれまいと慌てて後を追った。誰も無言だった。俺が遅いので、心配して迎えに来てくれたのだろうか。しかし、俺をバカにする軽口もなく入り口にたどり着くと、ろくに会話も交わさずに解散になった。皆一様に硬い表情で、それが一層俺の不安感を煽った。俺はあの白い人影がどこへ行ったのか気になったが、それを聞くことを拒む雰囲気だった。『かなめさま』の山道を振り返ると、蝉の声が止んでいた。二十年も前の話だ。俺は色々あってその町を飛び出してきて、もう帰るつもりもない。しかし、あの夜のことは忘れられない。結局Aたちとの間で、あの出来事は語らないという不文律が出来ていた。それきり『かなめさま』の話もしなくなった。しかし今振り返ると、それなりに思うところがある。お堂の扉を開けたあの時、ペンライトもかざさずに、何故道の先の人影の白い服が見えたのだろうと。道祖神は障(さえ)の神とも言い、道にあって道中の安全を司るとともに、人里への招かれざるものを遮る役目を負っていた。しかし、あの町で本来疫病や鬼の侵入を防ぐ役割を持っていた『かなめさま』は、人間の一方的な怨念で穢れていたわけだ。道祖神は病んでいたが、道は残っていた。そして山道の入り口で待っていたAたちも、『あれ』を見たのではないだろうか。盂蘭盆に、廃れた道を帰ってきた招かれざる者。
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