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線路にさまようもの
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平成の十年の五月半ばの事だとハッキリ記憶しています。 その晩も仕事が終わった後に浜名湖へ夜釣りに出掛け、あまりよくなかった釣果に不機嫌な疲労だけが残った身体で帰路へつきました。浜名湖の南側半周ぐらいの湖畔を通るロ-カル線があるのですが当時住んでいた家に早くたどり着く為には、一カ所踏切を渡る必要があったんです。 僕は普段、深夜にそこの踏切を通る時には一時停止もせずに素通りなんです。そんな時間に電車が通る事はありませんから・・ですがその晩は何を思ったのか、踏切前でしっかり一時停止をしました。 そしてふと右側に眼を向けました。そしたら、真夜中のその線路上を踏切に向かって歩いている男性がいたんです。 見るだけならいつもそんなにまで驚く事はないのですが、その時は恐怖という事ではなくただ本当にビックリしました。線路上を機嫌良さそうに、リズミカルに歩くその姿は上半身白い肌シャツ一枚で、下は作業着風のズボンをはいていました。 ピンと張った背筋にキッチリと腕をのばし、肩から指先までがまるで一本のもののように真っ直ぐになっていました。身体はガッチリとした体格で、腕も太く逞しい上腕部が白いシャツから出ています。 そして白い手ぬぐいのような物を首にかけて縛っていました。だけどそこまでハッキリ姿が見えるのに首から上がないんです。 その、首から上のない身体が脚を高く上げ腕を振り一歩一歩こちらに向かって歩いて来るんです。まるで酒に酔った御機嫌さんが兵隊の行進を真似るように、または高校球児の行進の如く、それよりも何よりもその足下を見ると明らかに線路よりは50cmほども高い所を宙に浮いているんです。 僕は助手席に置いてあった携帯を手に取り、自宅に電話をして寝ていた女房をおこしました。「寝てたか・・いやぁ~、今晩は全然釣れなくてさぁ」そう差し障りのない会話をしながら、ゆっくり車を発進させて踏切の中へ入りました。 線路上を歩く男性の姿がまだ真横に見えましたが、僕はそれに関係なく電話の向こうの女房と「子供達は何時頃に寝かせたんだ!?」などと更に普通の会話を続けました。とても今、眼の前におきている出来事を口にする気持ちにはなりませんでした。 自分が今眼にしている事を言葉で表現し、その声をまた自分の耳で聞く事によって、それが紛れもない現実である事を再確認する事が恐かったのです。しかしこういう場合に後日、得てして記憶が曖昧になりがちになる事も多く、僕は一度踏切を過ぎた後に車を止めて確認の為に後ろを振り返って線路の上を見てみました。 タイミングとしてはあの男性は調度踏切を越えたか、越えないかぐらいかと思いながらゆっくり振り返って見ました。するとさっきまで同じようなテンポで行進していたあの男性が線路上に「気をつけ」した状態で胸を張り、ジッと動かずにこちらを向いて立っているんです。 「あ、あ、あのなぁ・・」と、僕は震える声で電話の向こうの女房に話しかけました。「も、もうすぐ着くからな、玄関の鍵ィ開けときよ」「エ~ッ何でぇ、面倒ぅくさいよぉ」「いいから開けときって、もうすぐ着くからさあ」その後も僕は女房には喋らせず、ずっと話しっ放しで車をとばしました。 「いかんいかん、あれはいかん」そういう思いが何度もわき起こりましたが、僕は女房との会話をする事で必死に冷静を保とうとしました。それでも、車のスピ-ドを出しすぎないようにだけは気を付けました。 早くその場から遠ざかりたい気持ちもさる事ながら、車の運転を誤ってそこら辺の草むらに突っ込んでしまった時の恐怖の方がもっと強かったんです。こんな状況で身動き出来なくなんて、想像しただけでたくさんです。 「おい、ちょっと玄関まで出て来いよ」自宅の前まで来ても尚、女房との会話を切らさないように喋り続けながら車を家の真ん前に止め、車から飛び出すと玄関の戸を払い開けました。玄関の中に入るとなるべく、自分の背中スレスレに玄関の戸を閉めました。 自分の後ろから、見えない何かがついて来ているような気がして余計に背中スレスレに戸を閉めたかったのです。「寝る、寝る、寝る・・今晩はもう寝る」折角玄関まで出迎えに出て来てくれた女房に、労いの言葉も掛けずに僕はスタスタと寝室に向いました。 上着とズボンだけ脱ぎ捨てて布団に入るとガバッと布団をかぶったんです。「どしたん、何かあったん?」と言う女房の声が聞こえた時、同時に「ザ-ッ!!」という音が部屋に響きました。 布団から頭を出すと女房が「え、え、何これ・・」と言いながらテレビを指さしたので見ると、僕が部屋に入った時は電源がオフになっていたテレビが勝手にザ-ッザ-ッと深夜の「砂の嵐」を映しているんです。そして更にフッと消えたかと思うとまたついてザ-ッ・・と、これを二度程繰り返すと消えてしまいました。 僕は女房と顔を見合わせると「な、見ただろ・・」と、女房に指さし確認をするとまたガバッと布団をかぶりました。僕が時折、霊体験をしている事を知っている女房もあえてそれ以上何も聞かずに布団にもぐりこんで来て「フ~ッ、フ~ッ・・」っと震えがとまらない僕にしがみついて朝を迎えました。
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