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鞄
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母方の祖父母の金婚式の年、 親族揃って熱海のホテルでお祝いをやった。 宴会場での夕食の後、 俺は二人の従弟、智宏と郁と一緒に部屋に戻った。 智宏は酔っ払って寝ており、 下戸の俺とまだ中学生だった郁はTVを見ながら、 腹がこなれたらもう一度温泉に浸かっておこうなんて話してた。 そこへ、用事があって郁のオフクロさんがやって来た。 叔母さんはあれこれ郁に言い、 話が終わると、ふっと足元の俺達の鞄を見た。 「直ちゃん、これあんたの鞄?」 言われて俺が 「そうです」 と答えると、 叔母は開いていたスポーツバッグのファスナーを、 さっと閉めた。 叔母は長く勤めた看護師で、 きっちりした人だ。 俺のだらしなさが気になったのだろう。 寝ている智宏を残し 別棟にある大浴場に行くと、 郁はその道すがら、 以前にも自分の友人が母に鞄を閉められたと言った。 「几帳面だと思うでしょう?」 俺が頷くと、 郁はアメニティの入っていた ホテルのビニール巾着をぶらぶらさせた。 「あれ、違うんです。母はね、怖いんですよ。」 郁の話はこうだった。 叔母が若い頃、 秋口に八人ばかりのグループで長野に行ったそうだ。 旅館では四人ずつ、 二つの部屋に分けて通された。 叔母が荷物を開けていると、 そこへ隣の部屋の四人がやって来た。 「あっちの部屋、何か暗い感じ。」 叔母らが見に行くと、 仲間の荷物が入口の側の壁際にちんまりとまとまっている。 確かにそこは妙な空気で、 部屋の奥まで入りたくない雰囲気だと全員が思った。 「…空気が淀んでるんじゃないの?」 叔母と同室で グループのリーダー的な子がそう言って、 ずかずかと部屋に入る。 窓を開けると、 重たい気配が少しだけ和らいだ気がした。 「なんなら部屋逆にしようか。いいよね?」 リーダーに問われて皆同意したが、 叔母は嫌で厭で仕方なかった。 彼女も何故か部屋の壁際を歩いて、 窓との間を往復したのだ。 見えていないのに。 気が付いていないのに。 叔母には見えた。 部屋の中央に、 大きな異形の男が座っていた。 鬼、だと思った。 そうとしか表現のしようがない。 叔母達とその部屋の子達は部屋を交換して、 荷物をそれぞれの部屋に移した。 異常のなかった部屋の方で夜明かしして、 隣室で休んだ者はない。 何事もなく会はお開きになり、 叔母も家へ帰った。 住んでいたアパートに帰り付いたのは夜も更けた頃で、 叔母は寝室の入口の、 開いたままの襖の際に鞄を放ったらかしてベッドに入った。 一泊旅行で大した洗濯物もないし、 明日起きてから荷解きすればいい。 若い頃の叔母は、 俺と大差なかった様だ。 しかしいざ寝ようとしたら、 気になる事を思い出した。 ウォークマンどうしたっけ…? 当時はまだ結構いい値段だったらしいそれを、 旅行に持って行ったのだ。 MDやCDですらなく、 中身はカセットテープ。 集合場所までの電車では聴いた憶えがあったが、 帰路では鞄から出していない。 まさか忘れて来たのではないかと不安になって、 叔母は鞄の方へ向かった。 オレンジ色の豆球の明かりの中、 叔母は旅行鞄のファスナーを開ける。 大した荷物も入っていない、 クタクタのバッグ。 開いた鞄の口を覗いたら目が合った。 鞄の中の目と。 人とは思えない顔、 鬼としか思えない異形の男の首が。 首が鞄に入っている!! 叔母は咄嗟に鞄を払い除けた。 横倒しになった鞄から、 ごろりと首が転げ出る。 「××××××××!」 首は判別不能な叫び声を上げて、 襖の向こう、暗い台所へと転がって行った。 ごつんとどこかに当たる音。 叔母は恐る恐る暗がりを覗いた。 しかし、そこにもう鬼はいなかった。 家中の明かりを点けて確かめたが、 台所には勿論、鞄の中にも首はない。 電灯の光の下の鞄には、 衣類と洗面道具、ウォークマンが入っているだけだった。 脱衣所に着いてからも続いた話が終わって、 郁は巾着袋からタオルやら何やらを引っぱり出しながら笑っていた。 「…だから母は鞄をきちんと閉めないと怖いんです。 旅館のその部屋で、 母は鞄を開けっ放しで置いていたんですよねぇ。」 そう言いながら、 郁は袋に通された紐を左右にぎゅうと引いた。 俺はその話を聞いて以来、 鞄の口は必ず閉める事にしている。
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